ブッダの教えとマインドフルネス④ 「自然の法則」の観察

 

さて、私たちの心も身体も、それが従っているのには自然の法則があると考えることができます。仏教では、ダンマとか法、ダルマなどと呼ばれてきたものです。

私なりにこの二つの言葉の意味を解釈すると、二つの大事な視点があります。それは、「無常」と「縁」です。日本人や日本文化において、無常というのは古来より通底しているテーマみたいなものですが、これがマインドフルネスにおいても根幹の考え方となります。

「無常」とは、四季折々が変化しているように、この世の、世界の実相は全て変化しているというリアリティにあるということです。この身体もマインドフルネスで観察してきたように変化しています。血液は1週間で入れかわり、骨すら7年で新しくなるといいます。心の面では、私たちがしがみつくエゴ(自我)がありますが、実態のないエゴに私たちがしがみついているとも言えるのです。変化を受け入れることでより大きな流れに委ねたり、新しくなったり、本来的な自己に繋がることになります。うつやメンタルの悩み、職場や家庭での人間関係の悩みなど、これまで作ってきた私たち自身のエゴが試されているとも言えます。しがみつくほどに、苦しさは増し、自然の法則はその自分を手放しなさいと教えてくれているのかもしれません。

マインドフルネス瞑想においては、身体が変化していることを自覚したり、感覚を捉えてその変化を見届けたり、心を捉えて思考や感情が消えていくのを目覚めて確認することが大切です。その都度、「変化している」というリアルを実感することが大切です。こうしたあたり前のような変化を、何度も自覚し、見抜くことで自然の法則がやがては自分の前に現れてきます。変化をより実感できるようになると、葛藤も少なくなってくるでしょうし、「苦しみ」というのも明らかになってくるでしょうし、仏教的な意味での「智恵」が自然と湧きあがってくるといいます。

もう一つの自然の法則は、「縁」ということになります。無常を受け入れ始めると、全てが繋がりの中にしか生じ得ないということが体感として自覚されてきます。母親、両親、先祖といった人々との繋がりがなければ誰一人として生きていられるわけはありません。今ここでも、何らかの形で誰かに、何かに、国に、空気や水に、自然に・・・あらゆるものの繋がりの中に自分の命が生起しているというのが仏教的なリアリティです。「縁」を実感する程に、自分という存在に必要以上にしがみつく必要もなくなれば、智恵が湧き、慈悲の心が自然と湧いてくるでしょう。私たちが個人としても、全体としても自然の法則に沿っていく形に成長すると、コミュニティが再生するのではないかと思っています。

松村 憲

ABOUTこの記事をかいた人

瞑想経験15年以上。大阪大学大学院博士前期課程修了。認定プロセスワーカー。臨床心理士。
マインドフルネス瞑想の土台となっている10日間のヴィパッサナー瞑想リトリート(※)に15回参加。タイ、インドなどの長期りトリートで修行を積む。
 深層心理学のユング心理学にルーツを持つプロセスワークの専門家。身体性やマインドフルネスを早くより研究、実践し、個人の心理のみならず、関係性やグループ、組織を対象に仕事をしている。ビジネスシーンにおいては、個人のポテンシャルやリーダーシップを深く引き出すコーチングや、バランストグロース・フェローとして専門性を活かして、組織開発やコンサルティングに従事。近年は企業におけるマインドフルネス研修にも取り組む。
著書に『日本一わかりやすいマインドフルネス瞑想”今この瞬間”に心と身体をつなぐ』BABジャパン2015、共訳書にアーノルド・ミンデル著『プロセスマインド』春秋社2013などがある。