前回は『瞑想の種類・やり方によって脳への影響・効果に違いがある』ということをお伝えしました。また慈悲・慈愛の瞑想によって思いやりの心と他人への優しさ・寛大さが養われ、前向きな思考や感情の増加することをお伝えしました。さらにはこの思いやりの心からの利他的な行動と慈悲の瞑想の関連も明らかとなりつつあります。
そこで今回は、
- 慈悲の瞑想や思いやりのトレーニングによって利他性が育まれ、脳も変化する
- 『利他』について科学が介入したのはここ20年ほどのこと、そこで利他についての定義や利己的な人との脳の違い
- 利他のメリット
についてお話ししていきます。
目次
利他性は後天的に育むことができるか?

2013年のリチャード・デビッドソン博士の論文(ref. 2)では、
- 思いやりの心から生まれる利他性は先天的なものなのか?
- 思いやりのトレーニングなどによって利他性を育むことができるのか?
- その際、脳内ではどのような変化が起こっているのか?
ということを調べました。その結果、
- 思いやりのトレーニングによって利他的な行動が優位に増加したこと、また
- 脳内では社会的認知や感情調節に関わる領域である下頭頂葉(注1)、背側外前頭前野(dlPFC)(注2)、側坐核(NAcc)(注3)とdlPFC接続の活性化
などの変化が見られました。
以上の結果から、利他的な性質は思いやりのトレーニングによって後天的に育むことができる訓練可能なスキルである可能性を示唆しています。
※注1:頭頂葉 感覚情報の統合を行っており、特に空間感覚と指示の決定を担う。感覚以外にも高次脳機能を司る脳でもあり、傷害されると失認や失行というめずらしい症状が出ます。
※注2:背外側前頭前野(dlPFC):学習、思考、意思決定、認知や共感、人格、社会性・社会的行動など人間としての高次脳機能を担う前頭前野(前頭前皮質, PFC)の中でも、外側に位置するdlPFCは「思考の脳」とも言われ、記憶や認知、理解、推理、注意、抑制、意欲、判断に関係する領域とされます。

※注3:側坐核(NAcc): 前脳に存在する神経細胞の集団。
報酬、快感、嗜癖、恐怖などに重要な役割を果たすと考えらています。
またこの部位の働きが強い人ほど、嘘をつきやすいことが京都大学の研究グループによって突き止められています。
利他的・利他性(Altruistic)とは?

自分自身のために行動する利己的行動に対して、利他的行動とは自分を犠牲にしてでも他人のために行動することを言います。
ただ後述する通り自己犠牲に基づくものではなく、統計でも利己的な人よりも利他的な人の方が幸福度が高い、という結果も出ています。
(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の前野隆司教授のTEDより)
利己的・利他的な人の脳科学的特徴
利己的・自己中心的な性質についての研究は進んでいる
犯罪心理学などの観点から、極端な反社会的行動を行う傾向の人たちについては古くから研究が進んでいます。実際、精神病質的に反社会的な行動を取る人たちの特徴として
- 脳内の扁桃体が小さい
- 他人の恐怖の表情に対する反応が小さい傾向がある
ことも分かっています。
さらにはいわゆるサイコパス(良心・共感の欠如や冷酷・自己中心的な先天的精神病質)といわれる人たちの脳でも、
- 扁桃体や感情を感じる脳領域(眼窩前頭前皮質)の活性が低く、
- 逆に認知に関わる背外側前頭前野(dlPFC ※注2)の活動量は多いこと(東洋経済オンライン, 2015)、
- また京都大学の研究では葛藤などに関わる前部帯状回の活性が著しく低下していることと平然と嘘をつくことの関連性
についても報告されています。
一方 利他的・向社会的の研究は、、
一方で、利他的・向社会的な人についての研究が始まったのは最近です。
2014年の論文 (ref. 1) では、並外れた自己犠牲の精神の持ち主 (利他主義:この論文では、具体的には血縁ではない見知らぬ方に生体腎臓移植のドナーとなることを志願した人)の脳を調べたところ、
- コントロール群と比較して右脳の扁桃体のサイズが大きくなっていたこと、また
- 他人の恐怖の表情への反応・応答も高まっていること
がわかりました。このような傾向は反社会的な行動を取る人たちと全く逆でした。
さらにこの右扁桃体活性の増加は、前回お伝えした、思いやりのトレーニング後にネガティブな状況を移した画像を見た際の反応と一致していました。
利己的・利他的に関わる脳領域のちがい
背外側前頭前野 (dlPFC, 注2参照) が利他性と機能的関連があることは、理化学研究所から2019年に出された論文『他人の利益を考慮する意思決定の脳回路-脳回路の働き方の違いが社会行動の個人差にも関わる-』(ref. 3) でも述べられています。
この論文では、利己的・個人主義的な人と利他的・向社会的な人の脳回路の働きを調べ、その違いを明らかにしました。
その結果、
- 利己的・個人主義的な人では、右前島皮質(right AI)→内側前頭前野(mPFC)の回路が優位
- 利他的・向社会的な人では、左背外側前頭前野(left dlPFC)→内側前頭前野(mPFC)の脳活動の流れが活発
であることが分かりました。
(利他に関わる脳領域についてはref. 4のレビューのFigure 2が分かりやすいです。著作権の関係のためリンクのみ貼らせていただきます)
利他的・向社会的のメリット
利他は自己犠牲ではなく、他人の幸福をも自分の幸福のように喜べる状態
思いやり・慈しみの心を育むことで、自分の幸せも自分以外の人や見知らぬ人の幸せをもどちらも喜ぶことができるようになり、より多くの幸福を感じ、その結果、幸福を感じる脳の回路も活性化するとのこと。
心身の健康や経済・社会へも良い影響が期待される
人間の利他主義は地球上の動物の中でも異質でユニークなもので(このことは人間で高度に発達した前頭前野が重要な役割を担っていることとも合致しています)、また古典的な遺伝子ベースの生物進化論のみでは利他主義は説明が難しいとも言われています (ref. 10)。さらに利他的・向社会的な行動は、精神的および肉体的な健康 (refs. 5-8) だけでなく、経済的および社会的成長 (refs. 9, 10) にもプラスの影響を与えることが分かっています。
つまり利他性を強めることは、未だ明らかとなっていない潜在的なものも含め、個人やチーム・社会にとっても多くの利点があると期待されます。(個人的には先天的病質とされるサイコパスの人たちにも思いやりのトレーニングを行うことで脳や感情・行動などに変化が出るのか?など興味があります、、)
以上のことから 慈悲の瞑想・慈愛の瞑想などを行う人が増えることは、よりよい社会へと繋がる一歩となりうる、と期待できます。
参考文献(references)
- Neural and cognitive characteristics of extraordinary altruists, Abigail A Marsh et al, Proc Natl Acad Sci USA, (2014)
- Compassion training alters altruism and neural responses to suffering, Helen Y. Weng and Richard J. Davidson et al, Psychol Sci. (2013)
- Computing Social Value Conversion in the Human Brain. Fukuda H et al., J Neurosci. (2019)
- Altruistic behavior: mapping responses in the brain. Megan M Filkowski et al., Neurosci Neuroecon, (2016)
- Social relationships and health. Cohen S. Am Psychol. (2004)
- Prosocial Spending and Happiness Using Money to Benefit Others Pays Off. Dunn EW et al., Curr Dir Psychol Sci. (2014)
- Umberson D. Social Relationships and Health. House JS et al., Science (1988)
- Social ties and mental health. Kawachi I and Berkman LF., J Urban Health Bull N Y Acad Med. (2001)
- The roots of modern justice: cognitive and neural foundations of social norms and their enforcement. Buckholtz JW. and Marois R., Nat Neurosci. (2012)
- The nature of human altruism. Fehr E. and Fischbacher U., Nature. (2003)