『禅・チベット・東洋医学』(藤田一照, 永沢哲 著) という本を読んだ。
面白くて久しぶりに修行したくなりました。
キンドルアンリミテッドで読めるので瞑想や仏教マニアの方にはおすすめの本です。
著者の藤田一照さんは言わずと知れた有名な禅のお坊さんですが、伝統的な曹洞宗というより私の関心領域でもあるソマティック系ワーク (心身相関に特化した心理学の学問領域) に造詣の深い方です。
そして、共著の永沢哲さんは直接は存じ上げませんが、チベット仏教の専門家で著作を通じてとても影響を受けた方です。 チベット仏教の流れにあるゾクチェンというあり様が、自分の体験を言語化してくれていると感じてきたので、かつて永沢さんの翻訳書を何度も読んで影響を受けました。
ゾクチェンに関してはあまり知られてませんが、ダライ・ラマも触れることもあります。心の本質は鏡のようなものであり、マインドフルネスのありのままの気づきの状態を24時間維持し続けるような修行のことです。
著書では、瞑想や仏教についてお2人がそれぞれの立場から自由に語ってます。
チベット仏教に関しては、私自身魂的なゆかりが深いと思います。瞑想なんて全く知らない頃にテレビでチベット僧が小僧さんを連れて薬草を取りに行くシーンを見て、あまりの郷愁に画面から離れられなくなったことがあるくらいです。チベットではいろんな師のお話があって、彼らが最後まで瞑想行を深め続けて最後は虹の身体が現れる…的な話にはいつも表現しがたい深い感動を覚えます。
本書の中では当然マインドフルネスについても、批判的な視点含めて色々語られています。そうそう!と同意することも多い。同時に仏教という枠組みさえ超えて、意識の覚醒や社会へのアプローチが今の時代には必要だと感じています。そういう意味では自分は新しいジェネレーションなのだろうとも感じました。
それをあえて今言語化してみると…
仏教のルーツは間違いなくブッダ。そこから派生する伝統には奥深いものがあり、特にチベット系やテーラワーダ系は修行も実践、知識含めて体系化されている。
同時に現代はこの東洋をルーツとする伝統が西洋に出会った時代。東西の統合が進んでいるのだから、東洋の瞑想も西洋によって相対化、統合化されていく必要がある。脳科学の進歩が顕著な例。
一方で限界を考えると権威主義。本でも少し触れられてたけど、偉そうな話をして知識をひけらかし体験の深まっていない人の話は面白くない。エネルギーも粗い。仏教というフレームで考える限り、その枠組みから出て自分を相対化することが難しくなる。 大切なのは今ここの自分であり、自分が本来の自分になることであり、誰かに制約されるものではない。その意識をどれだけ覚醒させられるか…ということの方が関心がある。
発達心理学、進化心理学、意識の発達モデルからの貢献も必要。 スピリチュアルな方向にだけ飛んでしまう人は危うくて現実のバランスが取りにくくなる。そうではなくて、仏教の枠組みを遥かに超えた地平があってそれも考えるべき…というのが次の世代の統合的な瞑想だろうと思います。