スピリチュアル系の瞑想 ― その危険性

小島美佳:前回までの対談(マインドフルネスのデメリットについて後編、魔境とは)からの続きで、今回はスピリチュアルな世界で行われている様々なプラクティスとマインドフルネスの関係について話してみたいと思います。

“スピリチュアリティ”の危険性と自己責任

小島美佳:これは私の予想なのですが、“スピリチュアル”な世界で行われる瞑想的なアプローチには、きちんとしたステップを踏んでいない自己流のものが多いと感じます。よく聞くような「ハートを開く」とか、エネルギーを扱う、とか。入口としては良いと思うのですが…全体的にちょっと中途半端に導かれやすい手法の類が多い。

なので、余計に前回の対談テーマの魔境的なトラップにはまりやすい道筋も準備されてしまっているのかなと。こういった玉石混淆(ぎょくせきこんこう、良いものと悪いものが入り混じっている状態)感もあっても良いと思うんですけど。このスピリチュアルブーム、大きな勢力になっているような気がします、、、

松村憲:ちょうど先日、トランスパーソナル学会というスピリチュアリティをアカデミックに探求してきた学会の集まりで、危うくなっているスピリチュアリティの危険性について話が盛り上がっていました。

他に思うのは、光が濃くなれば影も濃くなるということです。全体性とか意識・無意識という深層心理学の視点で考えると、瞑想やマインドフルネスの良い側面が以前よりも現れやすくなっていて、その流行に便乗する人もいる。その時に白も黒も出て来ることは自然なことなのかもしれません。

小島美佳:そうですねー

松村憲:そこで黒い方に落ちて行っちゃう人は心配だよね、って気はしますね。

小島美佳:そうですね、でも、そういう世界は無くならないですから、、、自己責任で選択してください、って話になっちゃうと思うんですけど。

松村憲:そうですね。もしかしたら、前回の魔境の話から考えると、すぐに魔境に落ちやすい人はいるかもしれないですね。「これが真実ですよ」って聞いたら、鵜呑みにして信じてついて行っちゃうみたいな。

こういう流れで一番心配なのは、オウム真理教の事件(脚注:Wikipedia, 公安調査庁のまとめ)とかですよね。オウム真理教とか麻原彰晃とか、美佳さん、当時観てました?

小島美佳:観てました。

松村憲:自分は小さかったので事件の印象しか当時はなかったけど、あれは衝撃的な出来事でした。今でも映像とか観ると気持ち悪くなります。

あれだけ良識や知識のある人たちなら、麻原を見て「この人はヤバイでしょ?」って気付けそうなのに、ついて行っちゃう人が一杯いた。ダークサイドの何が一番危険かと考えると、主体性の無さだと思うんですよ。「光が本当ですよ、私は光を知っています」と言う人を安易に信じてついて行っては危ないですよね。見極めるとか、自分の体験を大事にする、または自分の体験を大事にさせてくれるか、等が大事だと思います。

小島美佳:そうですね。

松村憲:正しく導いてくれる人だったら、それはそれで良いのかもしれないですけど。

小島美佳:その流れで言うならば、マインドフルネスには自分自身の光を求める、現実世界の中でそれを求めて行く自由さがある反面、自分自身の心の歩みに関してはしっかり自己責任でやっていくという、これまでとはちょっと違う厳しさみたいなものがこれからは生まれてくるのかなと思います。

以前は絶対的なお坊さんのような人たちがいる安全で守られた空間っていうのが保証されていたけれど、、、

松村憲:でも、守られた世界と現実世界を分け隔ててしまうのは、これからの時代には合わない気がするな。

小島美佳:そうですよね。

疑問を持ちながら前進する大切さと権威のダークサイド

小島美佳:自分自身の経験を振り返ってみると…私の場合はあまり考えることなく、一度そっち(スピリチュアル)の世界に入ってしまいました。当初は、自分の中で「ちょっと違うな」と思いつつも、言われる相手が権威のある先生であったり、自分よりもスキルがありそうな風情の人たちだと、「そうなのかもしれないなぁ」と思ってしまって。無垢な自分が浮上してきてなんとなく彼らについていってしまう。「ん? なんだか疑問もあるけれど…」と思いながら流されてしまっていました。

それらの経験は今振り返るとすごく大事だったんだろうな思いますが、果たしてその歩みが本当に必要だったんだろうか?と考える場面もあります。

松村憲:今のお話を伺っていると、それはある種みんな誰しも通る道なんじゃないかな、必要なプロセスなんじゃないかなぁと思うんですよね。

権威と言うものに一度引っ張られながら、でもそこで権威に依存するのではなくて。自分の主体性やスピリチュアリティに目覚めてきたら、やっぱり盲目になるのっていうのは違うんだろうと気づくことができる。

大体多くの人が持っている「権威との付き合い方」という課題テーマがまずやってきて、そこを超えられる人は、より自立してある種の道を進んでいくだろうし、逆にそこを越えられない・できない人は沢山いると思いますね。指導者みたいな人がまたちょっとダークサイドに落ちているような人だと、囲っていって、みたいな。矛盾感は色々なところにあるような気がしています。

瞑想やマインドフルネスって元々仏教がルーツで、そのルーツを辿って行くと戒律みたいなものがあったりするので、最初のスタートは守られた空間でやるのはいいのだけれど、現実との折り合いもあるから、その後どうする?っていう話になりますよね。

小島美佳:そうですね、最初の私たちのやりとりの中で、なんていうか「お寺に入ってちゃんと修行する場合は良くて、そうじゃない自己流はダメ」みたいなことをお話したと思うのですけど。

その関連で、以前にあるお坊さんから聞いた興味深い話を思い出しました。

そのお坊さんは、お寺に入っているお坊さんたちのことを「寺リーマン」と呼んでいて。「お坊さんのうちの大半が寺ラリマーンなんだよ。お坊さんになればとりあえず生きていけるし、本当に真面目に修行している人達なんて 一握り…」と。最初は、「えー!?」と驚きました。お寺に入っても ”守られた空間”をエゴ的に利用してしまう人も多くいるってことなんですよね、きっと。

なので、自己流であってもお寺に入る場合でも、いずれにせよさっき松村さんが言った権威をどうやって自分の中で位置づけて、権威に依存せずに自立に向かうのかというプロセスはあるのかもしれません。

松村憲:そうですね。そこは修行だったり意識発達だったりといったテーマとしてすごい出てくるんじゃないですかね。

小島美佳:そうですね、どこに行ってもありますよね。 

権威との内なる戦い スピリチュアルな目覚め

松村憲:前に美佳さんと一緒に読んだウィルバーのインテグラル・メディテーションの本でも出て来ましたけど、そういったプロセスやテーマは瞑想的なステージが上がっても、意識の発達ステージが上がっても、それだけでは解決しない問題のように思います。自分のダークサイドや影との折り合いは必要で、そこには心理療法が必要ですとはっきりウィルバーは書いてましたね。

小島美佳:そうですね。とっても興味深いです。そういう側面から自分自身の経験を振り返ってみると、私の場合、まぁまぁ幸運だったのかなぁと思うのは、権威がある感じの人たちのプライベート…、「あららこの人こんな風になっちゃうの?」っていう側面を早い時期に見る機会に恵まれていたことです。「聖人みたいな人がそんなことしちゃうの?」って言うようなびっくりな場面もありましたね。その時はなぜこんな経験をしなければならないのだろうって思っていたんですけれども、実は非常に良いことだったと今は思っていますね。

松村憲:それは一生懸命マインドフルネスをやっていく人の共通のテーマなのかもしれないですね。

深層心理学的な話をすると、権威に投影をしていたものを引き戻す瞬間、引き戻すのってすごく辛いんですよね。すごい人だと思っていた理想を担っていてくれた人が、意外とこんな人だったのかっていうがっかり感みたいな。

そういうのに向き合わなきゃいけない。すごいんだと思っていた時の方が、世界が美しく見えるというか、可能性があったり素敵な世界だったり、何かその人にロールモデルを描いているのだけれども、なんか僕もそういうのは何度となく経験しているような気がしますね。

預けちゃいけないんだと思いつつも、すごいなと思う先生が一時的に師匠のようになってくる。そして、ある時にはそれほどでもなかったかなぁと思うようになる。前思っていた感情がなくなっていたり、この人もただの人なんだなぁと思えるようになったり、そういう事は繰り返しありますね。

プロセスワーク(脚注:プロセスワークとは) の師匠のミンデルだって今でも尊敬はしているけれども、昔はもっともっと神的な偉大な投影をしていたと思います。そこから引き戻ってきたときに、自分の人生って自分のものなんだなぁと感じるというか。ミンデルと言えども、ここから先はいつも導き手になる先生・師匠じゃなくなりそうだなと。それってちょっと寂しかったり、どうしようかな、これから?みたいに思います。自分は師匠に恵まれていると思っていたんだけど、師という師があんまりいなくなっちゃったのだ、とはっきり感じた時期がありました。でもそれってスピリチュアルな第二の目覚めみたいな感じかもしれませね。

自分の中に権威を取り戻すとき

小島美佳:なるほど。それは今ではどういう感じなんですか?

松村憲:今はね、その人たちから学べる事はあるなぁと思うし、自分がすごく謙虚になれれば学びはやってくるって言う感じかなぁ。

いろんな時期があったんですけれども、それこそダークサイドに落ちている時とか。最近ようやく謙虚とか、本当に自分がオープンになることは、いろんな  ところから学びがやってくる上で、すごく大事なことだと感じます。後は逆に言うと、ある時導かれている時はその人の教えみたいなことを大事にすることが守りにもなるけれど、今はいろんなものから自由になってきている気はしていて。例えば心理学のミンデルっていう人だったら「ミンデルの描く世界だとこうだよ」って言うふうに思う。あと仏教の瞑想とかも、いろんなレベルで好きだしまだ学んでみたいと思うこともあるけれど、意識の発達みたいなことを考えると、「仏教が正しい」って言う感じになってくると多分それもすごいバイアスだなと思っていて。仏教を一生懸命学ぶ人たちの中に入っていくと染まっちゃうので、そうじゃない世界もあってもいい、という今はすごい多様性に開かれている状態ですね。

小島美佳:それはすごくいいですね。そういう意味では、深く学ぶものが1つだけではない重要性っていうのはあるかもしれないですね。

松村憲:そうですよね、1つだけに固執していると、外や周りが見えなくなってくる危険性がありますよね。

小島美佳:結局のところ「評価・判断しない」っていうような、これは元々マインドフルネスのコンセプトですけれども、1つだけを深く学んでいる状態の時は、「これをやっていないのはまずい」とか「こうなっていないのは良くない」とか、そういうのにハマりすぎている傾向にあるような気がしています。

松村憲:そうですね。何か型とか流派とか先生とかいろいろ「あるべし枠」っていうのは図らずも出てきますよね。

小島美佳:ただ… 逆説的でもあると思うんですけれども、1回他を否定するくらいのめり込む、という状態をくぐり抜けておかないと中々見えない側面もあるのかもしれないですね。それを何度か繰り返してやっと気づく…。

松村憲:そう思います。禅の十牛図 (中国の宋の時代の禅の入門書) では、スピリチュアルに目覚めて牛を探しに行くんだけど、悟りに近づくにつれて捕まえた牛すら忘れ、なぜ牛を探したのかも忘れちゃいます。すげーって思っていた世界に開かれて、その先に待っているのは意外にも以前のような普通の世界だという意味でもあると思います。

本当の意味での「生きる」というのはそこからですよね。ここで何をしていくかだと思いますし、その時はダークサイドもあまり気にならなくなってるんじゃないかな。

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ABOUTこの記事をかいた人

瞑想歴16年以上。 15歳までヨーロッパで育つ。慶応義塾大学を卒業後、アクセンチュアで組織戦略・人材開発のコンサルティングに従事し異例のスピードで昇進。アクセンチュア・ジャパン 史上 最も若い女性マネジャーとして抜擢される。その後、独立系コンサルティング企業でビジネス開発に携わる傍ら、キャリアコンサルタント及びコーチとして活動。不確実な時代の波を乗りこなす事業の在り方やビジネスパーソンとしての生き方について考えはじめる。 2003年、瞑想に出会い習慣化するようになる。2010年よりビジネスの世界で活動をつづけながら、年間500名以上のクライアントへ瞑想的なテクニックを活用したカウンセリングを行っている。株式会社バランスオブゲーム代表。 監訳書:『コーチング術で部下と良い関係を築く』 共著:『「ハイパフォーマーの問題解決力」を極める』