心理的安全性とは、職場など特定の状況で対人リスクを取ることの意義について共有された認識のことです。
前編では、ハーバード・ビジネススクールのエドモンドソン教授の研究レビューを基に、この概念の本質や、個人レベルでの心理的安全性に影響を与える要素について学びました。学術的な知見は理解を深める上で大変有益でした。しかし同時に、それをビジネスの現場でいかに具現化していくかには、様々な課題が予想されます。
そこで今回は、前回の理論的な理解に加え、心理的安全性をビジネスの現場で実践する際に直面するであろう障壁とその対策について、コーチングや組織開発の専門知識を活かしながら掘り下げていきたいと思います。さまざまな観点から建設的な議論を行い、理論と実践の橋渡しとなる示唆を得られればと考えています。
目次
個人と集団における「心理的安全性」の違いと重要性
小島美佳:松村さん、前編の内容に対するご感想や、心理的安全性を実現するための課題についてのお考えをお聞かせください。
松村憲:ありがとうございます。今回のレビューは非常に参考になりました。前編では、レビューの中でも個人レベルの心理的安全性について主にフォーカスして紹介いただきましたが、その中でいくつか気になった点がありました。
よく耳にするのは、個人レベルの心理的安全性は「人との信頼関係」とほぼ同義との話を聞きますが、チームやグループとしての心理的安全性について研究しているエドモンドソン氏は著書の中で、「信頼関係と心理的安全性は別の概念である」と明確に述べています。
この点は、個人レベルの心理的安全性は周囲の環境との相互作用によって生じるものなので、上司と部下といった対人関係では信頼関係が重要になる一方、チームや組織といった集団全体としての心理的安全性とは性質が異なる、区別する、という視点が重要になる、と改めて感じました。
チーム学習を促進する「心理的安全性」の高め方と必要条件
また、興味深かったのは、エドモンドソン氏の初期の論文で提案された職場におけるチームの学習モデルです。このモデルでは、心理的安全性を高めるための先行条件として、リーダーシップや組織構造などが必要であると説明されていました。
個人的にも、心理的安全性をいきなり導入しようとすると結構弊害が起こると思っているので、この先行条件の要素という考え方は分かりやすかったです。
1, 職場のチーム学習モデルにおける心理的安全性との関係
例えば、チームの心理的安全性にはリーダーシップが深く関わってくるので、そのボトルネックとなるリーダーのコーチング(注:この論文は1999年のものなので、リーダーによるチームのコーチング、という意味でしたが、現在ではリーダー自身がコーチングを受ける、という意味も含まれると思います)をすることは有効だと思います。
また、組織構造のサポートによって組織の現状や共通の目標などを明確にすることで、チームの学習モデルと心理的安全性がリンクするというのも必要な先行条件だと感じました。
こうした先行条件が整えられた上で心理的安全性に取り組むことで、結果的にチームの学習効果も向上することが期待できます。
2, 発言行動に影響を与えるIVT (暗黙の発言理論)と心理的安全性
2番目に興味深かったのは、IVT(暗黙の発言理論)の部分です。
これは僕の専門の心理学的な観点でいうと、深層心理学の意識構造において、無意識の中に自分を批判する要因が眠っていて、それによって症状が作られると考えます。認知行動療法では認知の歪みとかスキーマ、免疫マップでは暗黙の前提とも呼ばれるもので、IVTもきっと心の奥深くにあるのでしょうね。
エドモンドソン氏が最後に言っていたように、それって個人のレベルだけでは解決しないこともあり、自分が持っているIVTに気づいて、「これはただの思い込みなんだ」と自由に発言するようになっても、周りがそれを許容しない文化やチームだったら、また発言しづらくなってしまうと思います。ですから、この心理的安全性を作る上でIVTという概念も肝になる、ということも踏まえてチーム全体を見ていくことも重要だなと感じました。
あとはビジネスらしいとも言えるし、無駄に「心理的安全性が大事なんだ!」と囚われ過ぎて、本来の目的である行動や生産性が停滞してしまうのは行き過ぎですよ、といった話がまさにその通りだなと思います。
逆にIVTも含め「心理的安全性を脅かすのではないか」と怯えてアクションをしないよりも、行動していくことによって心理的安全性が確立される、という行動療法的な側面もある、というのがエドモンドソン氏の主張なのかなと思いました。
ひとまず以上です。
Source : マインドフルネス研究所
「IVT」の概要と「心理的安全性」との関係
s子:ありがとうございます。
IVTについて追加で説明すると、まさにマツケンさんがおっしゃってた通りで、
- 個人の経験や学習に基づいて形成され、良いことよりも悪いことの方が強く記憶される、というバイアスによって、社会生活の中でさらに強化される
- 一般的に自分では意識しておらず、明確に表現することはできないけれども「発言することに関して、あなたはどう思っていますか?」といった質問や説明を求めると、自分が持っているIVTの信念を簡単に説明することができる
- また自己防衛や自己強化の目的に役立つ信念として発言しなかったことを正当化したり、発言をしたことで批判された場合は発言をしない方がいいというIVTを強める傾向がある
- 心理的安全性が高い職場ではIVTの影響が弱まり、発言することが容易になる傾向がある、
とのことでした。
松村憲:ちなみにマニアックな質問ですけど、この発言理論ってなぜ英語で「voice」っていうんですかね?聴覚とも関わっているんですか?
s子:長崎大学 辺見先生の「経営と経済」2023年の論文によると、voiceの直訳として発言、意見や声をあげる、という意味で和訳されていました。聴覚というよりも、自分の意見を言う、という意味かなと理解していました。
松村憲:ありがとうございます。
なぜ聴覚との関連を聞いたかというと、IVTのような心理的な信念は、心の中、認知機能としては、おそらく聴覚レベルで起こることが多いんですよね。「何々してはいけない」みたいな。それも関係しているのかなと想像していました。
s子:面白いですね、調べてみます。
ありがとうございます、美佳さんはどうでしょうか。
「心理的安全性」の本来の目的と期待される効果
小島美佳:はい、ありがとうございます。ビジネス現場におけるマネージャーの皆さんには結構示唆に富んだ内容だったかなと思って聞いていました。
やはりビジネスの現場において「心理的安全性は大切だ」ということのみに囚われてしまうと、個人レベルでの心理的安全性に関わる要素と関係性の図において、結果として実現したい「発言や知識のシェア、エンゲージメント」にはつながらないということですよね。
チームの創造性・パフォーマンス向上に向けた「心理的安全性」の活用方法
大前提として今のチームをどういう結果に導きたいのか、やはり右側の創造性をいかに上げるか、といった目的の部分が大事で、ここをリーダーが自分に改めて問う必要があるし、チームと合意することが大事ですね。
創造性を発揮するために、共に学習行動も高め、結果的にチームのパフォーマンスを上げていくことが重要で、その共通の目標のもとで
「今行っているビジネスにおいて、求められるチームのパフォーマンスはいかなるものなのか?」
「それに基づいてどういう学習行動を行っていると、最もそこにたどり着きやすいのか?」
という部分を、リーダーとチームメンバーとの間で明確にすることがまず第一なのかなと感じました。
その大前提の共有をする前に、心理的安全性を高めなきゃとか、部下との信頼関係を作ろう!といったところを先に追求し過ぎるあまり、矢印が別の方向に行ってしまい、チームの学習行動に繋がらない、ということがどの組織でも起こりうるんだな、ということを改めて認識させていただきました。
心理的安全性の確立のために不足している要素について考える
さらに、この図の左側の3つの要素を一つずつ見ていくと、リーダーシップ行動、つまりリーダーの立ち振る舞いがメンバーの心理的安全性に影響する、作用するということは納得です。さらに興味深いのは 積極的な行動が起こってこないと、声も上がってこないし、チーム学習に繋がらない、かつこれが心理的安全性と直接的に作用していない点です。
もう1つのマツケンさんとお話しいただいたIVTという概念も興味深かったです。
ビジネス現場のマネージャーの皆さんはこういった様々な要素が関わり合うことを知りつつ、「今このメンバーにどの要素を一番促進させあげることが最も有効なのか?」ということを考えることが重要だと思います。つまり、自分が今向き合っているチームメンバーや組織に足りていない要素を客観的に見るということが大切です。
具体的には、元々、優しいリーダーがさらに心理的安全性だけを頑張っても、チームメンバーから有益な発言がでる、知識のシェアが増えるといった方向に作用しないのかなと思います。そういった場合には、ビジョンを示して積極的な行動を促したほうが良い。
また、このIVTという観点から、分かりやすく他のチームメンバーの発言に影響を与えている人物(例:他者を批判する傾向があったり、全体の雰囲気を悪くするなど…)がチームの中にいた場合は、その特定の人物とチームとの関係性を変えていく努力が必要ですよね。
このように、一番必要な要素や不足している要素について考えずに、心理的安全性をゴールにして実現しようと努力しても意味がないと思うので、どのような要素が関わってくるのか、またその要素との関わり方を変えていく、といった視点の大切さを教えてもらったなと感じました。
今の私の話から補足したいことがありましたら、お聞かせください。
s子:はい、このお示しした個人レベルでの心理的安全性の要素と関係の図ですと、リーダーシップのみから心理的安全性に矢印が向いていますが、グループや集団レベルになると心理的安全性に関わる要素はもっと多く、多様になってきます。
この辺は、よりビジネス組織で活かせる内容かと思いますので、次回以降に見ていけたらいいかなと思います。
集団レベルでの心理的安全性の構成要素と特徴
小島美佳:ありがとうございます。こちらは次回 より詳細に解説いただきますが、先行して内容を拝見すると、エドモンドソン氏のレビューの中のグループレベルの心理的安全性に関わる要素の図は、納得感があります。キーワードとしては「組織のコンテキスト」、「チームのキャラクター」、「チームで取られているリーダーシップ」、「タスクの不確実性」、とありますね。次回のために少し頭出しさせていただくと、特に ①タスクの不確実性が高く、かつ
②リソースも不足している状態だと、心理的安全性に大きく影響する、という事態はビジネス現場でも散見されるように思います。
ビジネス現場の例ではありませんが、わかりやすいので 多様性の科学の著者のマシュー・サイドさんが紹介されていた、エベレストの登頂のケースでご説明します。死と隣り合わせの場面に置かれているにも関わらず、リーダーの判断に対して「それは間違っているのでは…」と声をあげられず結果として人が亡くなったケースがあるそうです。なぜこんなこと起こるのかと言うと、やはりどんなにいいチームだったとしても、タスクの不確実性(何が起こるかわからないエベレスト登頂)やリソースが不足している(この場合ですと 酸素ボンベの数が足りない)、といった極限状態になった時に心理的安全性が崩れる、とのことで、非常に納得です。
松村憲:そうですね、本当に様々な要因が関わっていて、先ほど美佳さんが言われていたIVT的なところのアプローチだけでもダメですし、心理的安全性は「作る」というよりも「できてくる」というのが現実的かなと思います。
結果として心理的安全性ができあがるためには、アクションやタスクの話もあるし、問題解決ができる、効力感やチームの効果性も高くないと、集団としてまとまって同じ目的に向かって走れないですよね。
なんとなく雰囲気はいい、みんな仲がいいのだけれど、共通の目的に向かって走りきれていない、全力を出せていない、という場合は、どこかにコンフリクトが潜在している、ということを考えてみた方が良いと思います。これも心理的安全とのバランスの難しさでもあり、心理的安全性というのはシンプルな概念ではないな、というのを改めて思いました。
小島美佳:ありがとうございます、そうですね、このIVTなどは心理学などの知識がない人には少し厄介かもしれませんが、この概念が頭の片隅にあるだけでも役に立つと思いました。
今後もチームの心理的安全性につながる具体的な要素や関係性などを、引き続き考察・探求していきたいと思います。
次回もよろしくお願いいたします。