マインドフルネス瞑想の種類・伝統など 基礎知識を瞑想歴20年のプロが解説

今回は、マインドフルネス瞑想を日常生活やビジネスに取り入れる上での基本的な知識からコツまで、松村憲さんに伺っていきたいと思います。

s子:日本のビジネスの場でもマインドフルネス瞑想が取り入れられるようになり、海外では米大企業にマインドフルネスを導入して効果が出たという統計学的なデータもある、といった話もしてきました。(過去記事『企業でマインドフルネスが普及しない理由』『企業のマインドフルネス事例紹介』参照)

 一方で本や論文、記事を読んでいくことで、瞑想法にも色々な伝統や種類があると分かって来たものの、私自身がしっかりと基礎から学んだことがないので、種類の違いなどを理解しておらず混乱してしまっているところがあって、、、松村さんに、マインドフルネス瞑想の基本的なことから色々質問して聞いてみたいと思っていました。どうぞよろしくお願いいたします。

 

瞑想法の種類

s子:まずは瞑想、と一言で言っても様々な種類があると思うのですが、、、世の中でよく知られていて実践されている瞑想法の種類などについて、お話いただけますか?

松村憲:瞑想の種類はどのような切り口を取るかにもよりますが、集中瞑想観察瞑想は一つの大きな種類分けになります。
仏教用語のパーリ語 (南伝上座部仏教の経典『パーリ語経典』で主に使用される言語) でいうと、

  • 集中瞑想がサマタ瞑想
  • 観察・洞察瞑想がヴィパッサナー瞑想

に当たります。

s子:ごくごく基本的な質問なんですが、観察瞑想と洞察瞑想は同じものなんですか?

松村憲:観察瞑想と言う時もあるし洞察瞑想と言う場合もあります。パーリ語のヴィパッサナーは日本語では「観察」とか「洞察」に当たるので、翻訳の違いによるものでほぼ同じと考えていいと思います。
 さらに、集中・観察の2つの瞑想とセットで出てくるけれども質の違うものに、慈悲の瞑想・慈愛の瞑想 があります。慈悲・慈愛の精神は仏教の基本とも言われます。パーリ語で慈愛をメッタと言うので、仏教ではメッタ瞑想呼ばれます。

Source : Amazon

 瞑想の種類でもう一つ、洞察瞑想に似ているけれども少し質の違ったもので、僕の言葉では観照者という瞑想の視点があります。これは、ケン・ウィルバーの著書『インテグラル・メディテーション (Waking Up (意識状態の覚醒)について) 』に出てきた、コーザル(元因、純粋な観察、極めて微細な状態)的な意識状態に当たります。また説明のされ方とか伝統・歴史は違っていますが、インド哲学でいうとウパニシャッドも近いと思います。

 そして後述しますが5つめの瞑想法として、意識をどんどん広げていく拡張瞑想という方法もあります。

以上をまとめると、

主な瞑想法の種類

  • 集中瞑想(サマタ瞑想)
  • 観察瞑想、洞察瞑想(ヴィパッサナー瞑想)
  • 慈愛の瞑想、慈悲の瞑想(メッタ瞑想)
  • 観照者
  • 拡張瞑想

 の5つになります。

観照者とは

s子:『観照者』って初めて聞きました。どんなものなのでしょうか?

ラマナ・マハルシの言葉

ラマナ・マハルシ (1879-1950)
Source : Amazon

松村憲:ラマナ・マハルシ という南インドの聖者がいるんですが、彼が繰り返し言っていることで
 『見るものと見られるものは違う』
という言葉があります。

 例えば、今この目の前にあるコップは『見ている対象 (観察対象)』、つまり『見られるもの』です。『物事は見られる対象』なんだけれど、『それを見ているのが真実の自分だ』という考え方で、その「真実の自分に気付くのが瞑想である」と言っています。「真実の自分だけにいることが瞑想である」という考え方で、これを観照者と言ったりしています。

 この考え方で優れているのは、チベット仏教に伝わる教えの一つのゾクチェン (チベット語で「大いなる完成」の意味、ありのままの原初の境地) にもあって、「観照者だけにいなさい、そうすれば起こる出来事は全てpurify(浄化)されていくだけなので、常に自分は観照者の視点にいる、瞑想状態にある」という考え方です。

キリスト教神秘主義での視点

 また西洋だとキリスト教神秘主義というのがあって、これらは中世のカソリックの伝統の中にあるのですが、ニコラス・クザーヌスとか、マイスター・エックハルトといった人たちは同様の視点を説いています。「神は祈る対象だけではなくて、内なる神がいる。その神の目で世界を見られる時が純粋な観照者である」という話をしているんです。

 あと、禅も結構近いと思います。禅の悟りは『真実はここだよね』と言っている。

s子:それらのキリスト教神秘主義や禅は、観照者の視点からの派生みたいな感じなんですか?

松村憲:観照者とキリスト教神秘主義は近いですけれども、うーん、禅は必ずしもイコールとも言えないですね。派生ではなくて、それぞれの真実の探究の結果が似通っている、ということなのだと思います。
 禅のアプローチとしては、「今この瞬間、常に悟っているんだ、なんでそんな執着してるんだ」という感じですよね。

 

禅の瞑想の特徴

s子:また基本的な質問なんですけれども、この観照者の視点や禅の『今この瞬間に集中して執着がない』という状態は、集中瞑想とか観察瞑想とはまた違う瞑想法で得られるものなんですか?

松村憲:実は全部通じているんですよ。
 先日、カバット・ジンの本を読み込んでいて改めて僕の中でも整理されたんですけれども、集中瞑想と観察瞑想は初期仏教の流れを汲んでいて、伝統があって色付けがないんです。(仏教とマインドフルネスについては、本コラムの過去の連載記事をご参照ください)
 仏教で語られている内容も真実だし深いし、ブッダはロジカルな人なので、彼が語っている内容はよく読めば科学的でとても納得できる内容です。そして悟りの過程を見切ったブッダが、「悟りに至るために必要な方法が集中と観察なんです、ベーシックな能力なんです」と言っています。

 その伝統で考えると、やはり少しずつでも続けてやっていくことが必須なんです。筋トレのように、毎日コツコツ続けていくことで段々と鍛えられてくるし、集中が高まるとおのずと観察も進むんです。
 そして観察が進むと何が起こるか?と言うと、心のパターン・癖みたいなカラクリがどんどん見えて自ずと浄化されていきます

瞑想=禅 ではない

松村憲:一方で禅は全く違うアプローチを取るんです。もっと劇的というか段階的なステップを取らない。瞑想法としては「じゃあここに座りなさい、ただ座れ」とか、「何か公案について考えなさい」とか。人は自分の中にある自分を形作っているシステムやパターンに執着しているんですけれども、どこかのタイミングでそれがポンと外れたところに『悟り』があるみたいな。

執着が外れたところに『悟り』がある

s子:執着が外れたところに悟りがある…?

松村憲:はい。
「私」「自分」という執着が外れたところにあるのが『悟り』です。
 そもそもみんな悟っているんだけれども、「私は悟ってません」とこうやって目を覆って生きているので、、、この仮面をいかに外すか?外れたら「こういうことだったのか!」と気づくことだ、みたいなアプローチを禅はしていますね。

s子:私の初めての瞑想体験が、京都旅行でたまたま立ち寄った禅寺で、、、「無料で座禅会やってます」って張り紙を見て、気軽に参加したんです。何の予備知識もないまま何の指示もなくて、だだっぴろい和室で30人くらいで1時間いきなり座らされて、ふらつくとピシッと叩かれる、とにかく1時間がとても長く感じられた、、、って体験でした。それは今の禅のお話の「ただ座れ」に近いですかね?

松村憲:そうです。何も知らない素人にいきなり1時間座れ!というのはやや乱暴ですよね。そこにらしさもあるのですが。

 逆に言うと、集中とか観察を大事にしている初期の仏教体系(禅以前のもの)は、すごいシステマティックなんです。だから誰でも続けていくことで能力がついてくるようにできている。
 一方で段階的な実践という意味では、禅はあまり丁寧ではないと思います。

s子:伝統的な初期仏教の瞑想は「筋肉は裏切らない、筋トレすれば必ず筋肉はつく」のような(笑)、きちんと体系に沿って続けていけば誰でもできるようになると。

 

拡張瞑想とは

松村憲:最初にお話ししたもう一つの瞑想法の拡張瞑想についてもお話したいと思います。
 観照者の視点は少し違いますが、基本の瞑想の集中と観察は、物理的な視点の延長みたいなところがあります。呼吸だとか『今ここにある』とかも現実の延長ですね。
 でも拡張瞑想はちょっと種類や質が違うかなと思っています。もう少しメタフィジカル(形而上)というか。

 そもそも意識ってある種、体に縛られるわけじゃないですか。逆に縛られるからそれを瞑想に意識を利用できて、意識を体に向ければ「今ここ」って意識に戻ってこられる。
 でも拡張瞑想では逆に、意識は体にも縛られない、体の制約を超えた世界と言うか、、、例えば「空間全体に意識を広げてください」って言われると、なんとなくできちゃうじゃないですか。それも主観なんだけれども、できちゃうんですよね。「どんどん意識を広げていきなさい」とやってみて、意識の制約がすごく広がっていく、というアプローチです。

Source : マインドフル瞑想チャンネル

チベット仏教での瞑想

松村憲:僕が知っている、そういった意識の拡張瞑想みたいなのをトレーニングとしてやっているのはチベット仏教だと思います。チベット仏教で教えられている手法では、慈悲の瞑想と拡張瞑想をセットにしてやるものがあります。

 また同様なメタフィジカルな次元で面白いのは、さらに高度な瞑想になってきますけれども、チベットのお坊さんが行う呼吸に限らない象物に集中する瞑想というものがあります。彼らはものすごい修行をするので、呼吸に集中する集中瞑想は基本中の基本になります。
 例えば仏教でもヒンドゥー教でもキリスト教でも神様はいっぱいいるじゃないですか。観音菩薩、薬師如来とか明確な絵があるわけです、アイコンみたいな感じで。で彼らの姿はどうで、どういう印を組んでいて、とそれらに集中することで明確にイメージして、その像を保持します。

s子:神様のイメージに集中する?

松村憲:そう、もうすごいメタフィジカルな世界だから、極端に言うとこの辺に常にその神様のイメージが見え続けている。
 で、ここがポイントなんですけど、集中やイメージをするだけではなくて、それぞれの神様が持っているエネルギーの質みたいなものを受け取ることも瞑想の価値や効果としてやっているんです。神の質を外に出して、沢山注意を向けて投影して、次第に自分と神はそんなに変わらない一体であるっていう意識を作っていく、みたいなのが修行になります。

s子:なんかすごい話になってきましたが、それはめちゃめちゃハードな修行をしたら、いつか到達できるかもしれないところって言う感じですか?

松村憲:もしかしたら功徳を積んできた人ならすぐできる人もいるかもしれません(笑)。でもベーシックな瞑想は、お坊さんの修行でなくてもチベットなどでは一般人も普通にやると思いますし、集中が安定してくれば次第にできると思います。
 あとはビジュアルが強い人はやりやすいはずです。

日本における精神性(スピリット)

松村憲:日本では逆に一般的には、特に信仰心のない人も節目節目に神社とかに祈りに行くじゃないですか。「この神社はどうだ、ああだ」って言われるのは、先ほど述べたチベット仏教の修行のロジックと同じでもあるんですよ。「この神社にはアマテラス大御神とかサルタヒコが祀られている」って聞いて、実際に行って、そのもののクオリティを受け取ろうとしているっていうことなので。

s子:金運とか健康運といったご利益を期待して神社を選んで、行ってみたいな?

松村憲:厳密には現世利益とは違いますが、似たようなものです。
 キリスト教だったら、祈りを捧げに行くキリストだったりマリアといった祈る対象があり、同時にもらうエネルギーであったり。

拡張瞑想はより精神性などの要素が強い

松村憲:そういう意味で言うと拡張瞑想に近い世界観は、単に洞察だけじゃないんですよね。意識を広げていってそこにあるエネルギー体と交信するみたいな。観察瞑想や洞察瞑想とは質の違う、より精神性とかスピリチュアルな領域に入っていく種類の瞑想です。

s子:では、Googleで『拡張瞑想』について検索すると、スピっぽい記事が多くヒットするということは、そもそもそういったものと性質が近いと言う事なんですかね?

松村憲:意識を拡張するという話をしていくと、スピリチュアルっぽい話に近接してくるとは思います。
 八百万とかアニミズム もそうですが、宇宙規模で考えれば人間意識だけが意識だと考えるのは偏りがあるかもしれない。すべてのものにも意識があると考えれば、宇宙すべてに意識があるわけですよね。例えば、その拡張していった意識の先には宇宙の星々とかあるんです。そういう拡張された意識体との交信みたいなのものがチャネリングと言われていたりします。
瞑想として考えれば、そこから受け取る瞑想みたいな。

s子:確かに、宇宙全体で意識をもった生命体は人間だけだ、と考えてしまうのは、まだ科学的な証拠が見つかっていないだけであって、決めつけてしまうのはちょっと時期尚早かなと感じます。宇宙全体や地球にも人間以外に様々な意識がある、それらとの交信も可能であると考えることはできるできないは別として、ありうることだと個人的には思います。
 一方で「宇宙人と交信」の部分だけを切り取られると、とたんにオカルトっぽく感じられてしまう心情も理解できます 苦笑。

 これまで「スティーブ・ジョブズが禅を愛していた」と聞いて単純に「禅=瞑想なんだ」、ぼんやりと「禅が良いのかなぁ」と思っていましたが、今回松村さんからお話を伺って、禅はあまたある瞑想の中の一つの方法や流派という感じだということと、瞑想法にも色々あるんだなということが理解できました。

 

瞑想をはじめる時のオススメは?

s子:ここまで瞑想の種類や伝統について伺ってきましたが、次は実際に現実社会やビジネスにマインドフルネス瞑想を取り入れていくことについて伺いたいと思います。
 私個人的には瞑想を継続した先の効果として、感情とかに流されずに全体を俯瞰してその場の状況を冷静に見て、と観察をしながら仕事をしたり日常生活を生きられるようになれたら、みたいな期待があります。(そういった瞑想に効果・成果を期待するのがそもそもマインドフルではない、というのもありますが、、、)
 松村さんとして「まずは手始めにこの瞑想がオススメ」とかありますか?瞑想の入り口としては、やっぱり集中瞑想がオススメでしょうか?

集中瞑想(サマタ瞑想)が全ての瞑想の基本

松村憲:はい、圧倒的にそうですね。ほぼほぼ集中瞑想です。
 色々な理解はあると思いますが、自分は個人的に「まず集中瞑想をとにかく覚えましょう」とお伝えしています。
 そもそも集中がないと観察はできない。集中瞑想は本当に最初の入り口ですね。継続的にやるのであれば。

s子:では前から常々松村さんがおっしゃっていた、「5分10分でもいいから毎日座りましょう」っていうのは集中瞑想のことで、自分の呼吸とか体に意識を向けるっていう理解で合っていますか?

松村憲:そうですね、スタートだったらまさにそうです。で、集中のなかでも『呼吸は何よりも大事』って感じですね。

 

 引き続き、ビジネスや日常生活に取り入れるマインドフルネス瞑想の実践や効果について、心理学や脳科学の視点からさらに詳しく伺っていきます

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ABOUTこの記事をかいた人

大阪大学大学院博士前期課程修了。認定プロセスワーカー。臨床心理士。 瞑想経験20年以上。 マインドフルネス瞑想の土台でもある、10日間のヴィパッサナー瞑想リトリート(※)に15回以上参加。タイ、インドにて長期トリートで修行を積む。  深層心理学のユング心理学にルーツを持つプロセスワークの専門家。身体性やマインドフルネスを早くより研究、実践し、個人の心理のみならず、関係性やグループ、組織を対象に仕事をしている。ビジネスシーンにおいては、プロセスワークのコーチングや、組織開発やコンサルティングに従事。企業におけるマインドフルネス研修や、大手フィットネスクラブのマインドフルネス・プログラム開発や指導者養成も行う。著書に『日本一わかりやすいマインドフルネス瞑想"今この瞬間"に心と身体をつなぐ』BABジャパン2015、共訳書にアーノルド・ミンデル著『プロセスマインド』春秋社2013、ジュリー・ダイアモンド著『プロセスワーク入門』などがある。

(株)BLUE JIGEN 代表取締
バランスト・グロース・コンサルティング(株)取締役
(一社)日本プロセスワークセンター ファカルティ
日本トランスパーソナル学会 常任理事

(※) 10日間 話さずに座り続けるもの