優れたリーダーとして成長し続けるためには、まず自己をより深く知ることが大切です。
特に、ユング心理学が提唱する元型(心の深層構造)の一つ「シャドウ(Shadow, 影, シャドー)」の概念は、リーダーの自己理解と成長に重要な示唆を与えてくれます。
シャドウとは、私たちが意識的・無意識的に抑圧してきた感情や欲望などを表す心の暗い側面・総体です。それは必ずしもネガティブなものばかりではなく、むしろ、認めて受け入れる(統合する)ことで自己成長に必要不可欠な心的エネルギーを内包している場合も少なくありません。
本稿では、前回の「夢分析で自分を知る」の続編として、シャドウの本質とその活用法に焦点を当てます。さらにシャドウ以外の元型の例や投影について解説し、夢分析を通じたシャドウの理解と、それを活かしたリーダーシップの深化について、実践的な視点から解説していきます。
目次
1. 夢を通じて見える心の深層
古くは哲学者が夢について意識の探求の過程で研究してきた歴史があり、実際仏教で行われる深い修行でも、夢の中でも目覚め続ける、といったものがあります。 20世紀に入って夢の研究によって、私たちは意識することなくほぼ毎日夢を見ていることが分かりました。
人は睡眠の間に、レム睡眠 – ノンレム睡眠のサイクルを繰り返し、ノンレム睡眠は深く眠っている状態、大脳も休息し脳や肉体の疲労回復のために重要で、ほとんど夢は見ないと言われています。一方、レム睡眠期には脳は働いており眼球運動なども見られ、起床後に覚えていなくとも何度か夢を見ていることが研究でも明らかになっています。
※注:ウィスコンシン大学 Institute of Sleep and Consciousness(WISC)の研究チームによると、ノンレム睡眠中でも夢を見ることが2017年に報告されています(The neural correlates of dreaming, Nat Neurosci., 2017)。
日本語のレビューはこちら(wired『「夢はレム睡眠のときに見ている」はウソだった:研究結果』)
レム睡眠中に鮮明な夢は、私たちの無意識が送り出すメッセージとして捉えることができます。このメッセージの中に、しばしばシャドウが象徴として現れるのです。
元型とは
ユング心理学では、人類共通の心の深層構造、普遍的な心のパターンを「元型」と呼びます。平たく言えば「人間に共通する心のパターン」のことです。
元型は意識において様々な形で表現されますが、元型そのものは意識できない力動作用です。
無意識の中にある元型が作り出す普遍的なイメージ群は、神話、物語、歴史、文化アートなどの中で多く見られます。元型にはシャドウを含むいくつかの種類があり、それらがイメージ群を生み出し、私たちの思考や感情、行動、心の発達や変容に影響を与えるとともに、夢の中にも象徴として現れます。
今回は多くの種類がある元型の中でも、夢分析でも多く扱われる二つの元型 シャドウ・影とペルソナ(一面的な自我)について、お伝えしていきます。詳しくは後述しますが、ペルソナは社会に向けた顔、社会適応のための仮面であり、シャドウはその裏側にあるもの、その仮面の影に隠れた本質的な部分といえます。
2. ユング心理学における深層心理の意識構造
意識・個人的無意識・集合的無意識の3層構造
意識の世界を心の全体像と考えると、私たちの心は、氷山のように、目に見える部分、普段私たちが意識しているのははごくわずかです。ユング心理学では、この心の構造を3つの層として捉えています。
最も表層にあるのが「意識」の層です。これは日常的に自覚している思考や感情が存在する領域で、自我(上の図のオレンジ色)がその中心的な役割を果たしています。しかし、これは心の全体からすればほんの一部に過ぎません。
意識の層より下は全て無意識と言われており、自我の下には「個人的無意識」という層が広がっています。ここには、私たちの生まれてから現在までの経験や記憶、イメージ(個人史や生育史)忘れ去られた出来事などが蓄積されています。
夢の中で脈絡なく突如として現れる見覚えのある風景や人物やよくわからない情報は、多くの場合、この個人的無意識から浮かび上がってきたものです。我々の日常生活・経験において意識・知覚できるのはごくわずかですが、もし忘れてしまっていたとしても全てこの個人的無意識の部分に入ってますよ、というのがユング心理学の考え方です。
さらに深層には、前回お話しした人類共通の「集合的無意識・普遍的無意識」が存在します。これは個人の経験や記憶を超えた、人類全体が共有する心・無意識の領域です。
集合的無意識には、多くの文化や時代にわたって共通して見られる元型的なパターン(元型領域)があり、さらにその中心には、ユングが「自己・セルフ」と呼んだ、心の全体性を司る元型が位置しています。
夢分析の本質的意義
ユングの画期的な発見は、夢が個人的無意識だけでなく、集合的無意識へのアクセスも可能にするという点でした。夢を通じて心が出すイメージ群を深く分析し、自分の理論を確立したことがユングの大きな業績と言えます。
ユング心理学では、夢の送り手・創造主がいるとしたら、このセルフ・自己からのメッセージとして私たちに語りかけくると考えます。それは単なる記憶の断片ではなく、誰でも心の中に深い智慧を含んだ部分を持っており、それを探るための手がかりとして夢が有効です、という話を前回お話ししました。
ここでは難しく考えず、『我々の心全体のボスとして自己というものがあるらしい』と覚えていただければと思います。現代社会において、私たちは往々にして意識(自我)の領域にとどまりがちです。しかし、真の自己実現や心の充実は、意識と無意識の架け橋を築くことで初めて可能になります。
上の図で言うと意識と無意識の層の間を通していくことが発達成熟テーマとして重要で、夢は自己につながる貴重な機会を提供してくれるのです。
心理療法での夢分析
例えば、心理療法などで見るうつ状態は、自我と自己(深い部分)の断絶として理解することができます。そのような場合に、夢分析を通じて無意識領域からのメッセージを読み解くことで、これまで意識から切り離されていた部分と再びつながったり蔑ろにしていた感情を解放していくことで、心的エネルギーは活性化され、治癒へと向かいます。
うつ状態とは心的エネルギーが退行している、つまり心の元気がなくなっている状態なので、そこにしっかりと意識を向けることで、退行していた心的エネルギーが回復してくる、自我と統合されてうつ状態から元気になっていく、という流れになっています。これは心理療法の現場でも実証されている重要な知見です。
3. 誰もが持つ元型 – ペルソナとシャドウ
意識(自我)は先ほどお伝えしたように昼間の世界の自分で一面的なので、自分が認めたくない部分や抑圧した部分は、個人的無意識としてまさに影になります。
これは例えば、人は部屋の中にいる時には影はあまり目立ちませんが、外に出れば影は出ますよね。それと同じように、人は外(社会)に出ると常に影ができ、向き合わなければなりません。
しかし、この影を無視し続けて一面的になってしまいすぎると、心の全体性のバランスを崩し不安定な状態になってしまいます。
逆に、怒りを無視してきた人が、「自分は怒ってたんだ」ということに気づき、そういった怒っている自分・影も認めて受け入れていくことで心のバランスが取れ、少しずつ変わってきます。
このように無視したり、なかったことにして無意識領域以下に落とし忘れてしまったもの・シャドウを思い出し向き合うための補償作用が、夢に象徴として現れてきます。夢分析を通して、私たちは自分のシャドウに気づき、それを理解し、それを表現する方法を学ぶことができます。
一方で、シャドウ・影と表裏になっている明の部分の元型をペルソナといいます(右上の図)。ペルソナは私たちが社会に適応するために必要なもの、みんなが持っているものなので、シャドウの前に、このペルソナから説明します。
ペルソナとは
ペルソナ(一面的な自我)とは外界と調和していくために身につける役割や仮面のことで、いわば外界に向けて見せる自分の顔です。ペルソナは人が社会的な立場や役割を果たすために必要なもの、自分の公式な顔とも言われています。元型の一つといわれていて、我々は実はペルソナだらけですという考え方をします。
社会生活を送る上で身につけるペルソナの例としては、会社〇〇の社員として、役職として、親として、あるいは友人としての顔 – などの社会的役割は外界と調和していくために必要不可欠な役割です。
人は成長発達していく上で、二十歳ぐらいまでは体と共に自然と成長します。心のレベルの成長で言うと、思春期もまあ大変ですが、大人になる際には外側の世界での自分の定位置(「社会人になるか?」など)を見つけなければならないので、その時に皆さん必ず無意識のうちにペルソナを作っているんです。
ペルソナが形成されないと、、、?
そもそもペルソナの語源はギリシア・ローマ時代に役者がつけていた仮面のことです。仮面、つまり人が世界と向き合う時の顔です。
仮にペルソナができなかったりすると外界と関われなくなり、適応できなくなってしまいますので、ペルソナを作ることは大事です。人は一生を通じて多くのペルソナを身につけます。思春期ももちろん、青年期などもいろんな顔・アイデンティティがあり、まだ揺らぎもありますが、社会人になるとより強くなります。
ペルソナの両義性
そしていつしかペルソナ(仮面、表向きの顔)をつけすぎると外側ばかりに意識が向くので、自我は外的な自分の位置づけしかできなくなり、心・内面とのつながりが希薄になっていきます。
ペルソナは社会適応には不可欠ですが、過度にペルソナと自我が一体化すると、心の内面とのつながりが失われてしまい「あれ俺って誰だったっけ?」といったように、自分を見失う可能性があります。
仮に「私はこうである」と言っていたとして、実際に心から本当にそう思ってるかは別として「そうあるべきだ」という強固な自己イメージに縛られすぎ、同一化しすぎると、心理的な硬さや脆さとなり心の柔軟性が失われ、時として抑圧されていた感情が予期せぬ形で噴出することがあります。
健康的に生きている人にとってはペルソナについて考えなくても全く問題ないのですが、ペルソナは無意識のうちにつけているものなので、普段は自覚されていない、密着しすぎていることにも気づきにくいことが多いです。
シャドウとの関係
このように私たちは社会生活を送る上で、様々なペルソナを身につけて、外の世界と適応しながら日々役割をやっています。しかし、光があれば必ず影ができるように、ペルソナの形成は同時にシャドウを生み出します。つまり表向きの顔・ペルソナの裏側には、必ずシャドウと呼ばれる元型があります。
4. シャドウ(影)の本質と重要性
シャドウとは、ユングの言葉を借りれば
「そうなりたいという願望を抱くことのないもの」
です。より具体的には、自分ではない、なりたくないと私たちが意識的に受け入れることを拒む人格の側面のことで、例として以下のようなものが挙げられます。
- 人格の否定的側面
- 隠したいと思う不愉快な性質全て
- 人間本性に備わる劣等で無価値な原始的側面
- 自分の中の「他者」
- 自分自身の暗い側面
皆さん誰しもこういう側面はあります。
「人格は影とともに生きることを望む」とユングが言っているように、我々は多少なりとも影を持って生きてるぐらいが健康です。ただ自覚しているか?そこに気づきがあるかないか、によってかなり違ってきます。
シャドウとの向き合い方
シャドウは自分が無視したり否定したりした感情や欲望などを表しますが、必ずしも否定的なものだけではありません。シャドウを認め、受け入れる、適度なシャドウとの共生をすることによって、心のバランスを保ち、心の健康、自分の成長や癒しにつながります。逆に、シャドウを抑圧し無視し続けると、本当の自己を見失ってしまう可能性があり、夢を通じて無意識領域からの補償作用が働きます。つまり重要なのは、その存在に気づき、受け入れる姿勢を持つことです。
シャドウ・影は元型として多くの物語、小説や映画などの中で表現されることがあります。これは、作者達がシャドウや元型といった概念を知らなくても、物語の中では心の世界が描かれるので自然と出てきます。
シャドウの多様な現れ方
このように皆さんだれでも影・シャドウを持っていて、シャドウは様々な形で私たちの前に姿を現します。以下に例を挙げます。
その他の元型について知りたい方は先に次項へ進んでください。
・夢の中に出てくるシャドウ
どんな人生を生きるか、会社人生とかもそうですが、自分で選択できたこともあるし、そうじゃなかったところもあるじゃないですか。そうやって自分が生きてこなかった半面は影にシャドウになっていき、その自分の黒い分身をどう認識するか?が大事になってきます。
今回のテーマの夢の中で見られるシャドウは、自分と同性で対照的な人物として現れることが多いです。例えば、私が先日体調を崩して寝ていた時に見た夢の中に、太ったマッチョなおじさんというが出てきました。まさに同性の人間で、私とは全然違う感じだったので、私の中のマッチョ性という影シャドウが出てきたのかもしれないです。
・生活の中で見られる影・個人的なシャドウ
生きていると出会う、なんとなく嫌いな人、ある点だけむやみに腹が立つ存在なども、皆さんのシャドウである可能性があります。こう言われると「えーっ」と思うかもしれないですけど、結局大切なのは自分がどうしたいかです。
もし自分が今よりも楽になりたい、より統合して柔軟に成長したいと思った時には、「それはシャドウかもしれない、自分にもあるものかもしれない」と意識することが大事です。最後に少しワークを紹介しますが、「自分の中の一部でもある」と思えた時には、その不快だと思っていた相手が不思議と全く気にならなくなってきます。これはリアリティとしてあるので面白い点です。
・偉大な人の影
聖人君主とか大きな影響力を持つような偉大な人にできた影・シャドウとして、子供や周囲がなるって事は実は多いと言われてます。例えば大きく世の中を変えていくような変革リーダーの子供は、すごい品行方正じゃなくなるとか、そういった傾向は多く見られます。
・国や民族の影・集団的なシャドウ
一つの集団、国民が全体としての影を何ものかに投影するような現象も、全世界を通じてしばしば認められます。
集団的な強烈なシャドウを特定の民族や人種に投げかけ、その分投げかけた側の民族の凝集性はググッと増します。そういった民族の凝集性は団結でもあるんですけど、真の団結とは?と理想的な目指したいところを考えると、グループ個々の成員がそのシャドウを認識し、責任を持って同化に努めることによって維持されるものです。会社組織も同様でシャドウというのはあると思います。もちろん個々人の中にもあるので、シャドウを認識することによって次の成長ステップのきっかけにもなるかもしれません。
・普遍的影(collective shadow)
基本的には個人的な経験がシャドウになりやすいんですけど、民族とか集団の影はより深い感じです。さらに深く潜っていったときの最も深い影は、普遍的影(collective shadow) 、悪魔、鬼、化け物など、いわゆる真の悪といわれるものです。なので統合というよりも、しっかりとキャラを認識するとか、場合によっては逃げることも正解、ともいわれる普遍的なシャドウというものもある、といわれています。
<松村憲 オンライン夢分析サロン>
夢を通してシャドウと統合する例 – ユング 夢分析の例
ここからは、より理解を深めるために、夢の中に見られる影・シャドウについて2つ簡単な例を出します。
1, ある女性がこんな夢を見ました「私は詩的で美しいリゾートプールを泳ぐお姫様です。すると突然、怒りに駆られる薄汚れた浮浪児に脅かされます」
この脅かしてきた人が同性か異性かは書いてないですが、どんな風に思いますか?
この女性が普段認識している「私」像というものがあり、これが自我ですね。夢の中で自我が認識していないシャドウが突然わっと現れてくる、もしかしたらこの方は感情面とかで課題があって、夢分析を受けに来た人かもしれません。
夢の中の自我は本当に詩敵で美しいところに一致してるわけですね。お姫様なのですごい尊大かもしれないですね、リゾートプールで、でもプールは少し別の無意識の象徴を連想させます。この夢、無意識の世界で出会ったのが、怒りに駆られた浮浪児ですね。シャドウの世界観、彼女が見てこなかった、自分ではないと置き去りにしてきた子供が出てくるということです。
そういう部分に最初に触れる時は、汚く出てきたりおぞましく感じることが多いですが、多分この怒りにかられた子供は彼女の見てこなかった自分の中の一部、シャドウかもしれないな、と考えられます。
2, ある男性が自分はライオンであるという夢を見ました。
これも正夢という風に考えてみると、この男性の普段の自我、在り方の一面性を補償するために「自分はライオンである」という夢を見ている可能性があるので、ライオン的な要素が彼のシャドウである可能性があります。
「ライオンってどんなイメージですか?」と連想を聞いたりしていくと、シャドウの連想が出てくると思います。多分、一般的には百獣の王ですから「強い」、あとはオスかメスのどちらかわからないですが、オスライオンのたてがみから連想すると、自分自身のライオンのような部分を思い出しなさいという夢からのメッセージかもしれません。
例えば組織とかリーダーの関連で考えると、我々のアイデンティティーは二十歳ぐらいから結構変わらないままで信じちゃってることが結構あります。大変な体験をして自分はあまり強くないんだなとか、そんなに秀でてないんだなと思いながら、だからより頑張ることで成功してきた人がいますと。現在ではライオンのごとく素晴らしい成果を出してすごく成功しているんだけど、自分のアイデンティティは昔のまま変わっていない、自分は成功ではないと思ってると、多分このような夢を見ると思いますね。
こういう夢を繰り返し見ると思います。
つまり自分はもう20年30年前とは違ってそれなりの力をつけてきた、みたいなことがわかってくると、統合が進んでいきます。
引き続き、その他の元型、アニマ・アニムスやリーダーシップと英雄元型などについてお話ししていきます。
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