『鬼滅の刃』は、原作コミックの発行部数が累計1億冊を超え、映画『無限列車編』が357億円を突破するなど(2022年1月現在)、現代日本において最も成功した作品の一つとなっています。この驚異的な人気の秘密は何なのでしょうか?
本記事では、ユング心理学の「集合的無意識」という概念を軸に、深層心理学とマインドフルネスの視点から鬼滅の刃の魅力を解き明かします。
心理学者で認定プロセスワーカーの松村憲さんが、物語に込められた普遍的テーマと、多くの人々の心を捉える要因、鬼滅の刃が私たちの無意識にどのように働きかけているのかを詳しく解説します。
目次
『鬼滅の刃』の魅力:ユング心理学の集合的無意識からの考察
松村憲:まず、僕自身『鬼滅の刃』がすごく好きで、原作も既刊は全て読んでいます。この作品は私たちの魂と心の奥深くに響く感じがします。
このような『鬼滅の刃』が多くの人々の心を捉える現象は、単なるエンターテインメントの成功を超えた、より深い心理的メカニズムを示唆しています。この作品が私たちの魂と心の奥深くに響く理由を、ユング心理学の視点から探ってみましょう。
そして、今、これだけ多くの人に響いているのはどういうことなのか?と考えてみると、メッセージが意識の深い部分に到達しているのではないかと感じています。
ユング深層心理学から見る意識と無意識
ユングの深層心理学モデルでは、人間の心を意識と無意識の二層構造で捉えます。意識は日常的に自覚できる部分ですが、自覚できていない領域・無意識はさらに個人的無意識と集合的無意識に分けられます。
『鬼滅の刃』の物語には、この集合的無意識領域に潜む元型や普遍的テーマが含まれています。
集合的無意識を刺激する鬼滅の刃:普遍的テーマの探求
『鬼滅の刃』は僕らが普段、自我では意識できていないような奥深い部分にある集合的無意識を刺激する以下のような要素で物語が構成されていると考えます。
- 善悪の二元性と調和の探求
- 家族の絆と犠牲
- 成長と自己実現の旅
これらのテーマは、文化や時代、国境を超えて多くの人々の心に響く普遍的な要素です。日本人の集合意識に特化して訴えるものであれば日本のみで流行るでしょうが、グローバルな人気を獲得している背景には、こうした深層心理に訴えかけるより深い普遍的要素を含んでいるためでしょう。
(※注:海外でも「デーモン・スレイヤー」として人気があり、英BBCでも取り上げられています)
個人的には主人公の兄と妹というセットや、日本人の心が好みそうな設定も多く含まれていると思います。
小島美佳:興味深い視点ですね。では、この集合的無意識への働きかけが、なぜこれほどの人気につながるのでしょうか?
松村憲:集合的無意識に触れる物語は、私たちの内なる深い部分と共鳴し、時に無意識下に眠る葛藤や課題を意識化する機会を提供します。
『鬼滅の刃』の場合、主人公たちの成長や葛藤を通じて、読者の意識を拡張し、集合的無意識の領域に働きかけます。この過程で、読者は自身の内なる課題と向き合い、その結果、物語を通じて自己理解を深めたり、癒される人が多いのだと考えます。
マインドフルネスと鬼滅の刃の類似性
さらに興味深いのは、『鬼滅の刃』の物語がもたらす効果と、マインドフルネスの実践がもたらす効果の類似性です。マインドフルネスには、『意識を広げていく』という部分があります。仏教に含まれる心理学的な部分では、トレーニングによって意識を拡大していき、普段は奥深くに眠ってしまっていて気づかない心の深層・無意識領域にも自覚が生じてきます。心の深い部分に触れた結果、自ずとそこにある心の残滓が浄化していくプロセスが起こります。
『鬼滅の刃』もまた、読者の意識を拡張し、集合的無意識の領域に働きかけるという点で、マインドフルネスと類似した効果をもたらしています。
このように、マインドフルネスによって深まっていく意識の部分と『鬼滅の刃』のストーリーが働きかけてくる深い意識の部分がリンクしていると考えるのは、とても興味深いと思っています。
小島美佳:なるほどー。
マインドフルネスと鬼滅の刃:無意識領域への癒やしのアプローチ
小島美佳:鬼滅の刃の話題から少し外れるかもしれませんが、現在、マインドフルネスを始める人たちの中には、その奥深いところにある思想とか、なぜマインドフルネスをやるのか?とか、それをやってどうなるのか?っていうところまで理解していない方が多いのではないかと思います。
よく聞かれる「健康に良いです」とか、「ストレスを緩和します」という言葉は、一般的な表面的な効果だけで、その奥にある深い部分、マインドフルネスの真の価値について理解するには、ちゃんと勉強したり瞑想をすることが必要な部分があると思います。
そこを『鬼滅の刃』は、エンターテインメントの世界観から不思議な形で自身の奥深くに眠る無意識領域の存在を教えてくれている言えるかと思います。
個人的には、見た目的にはすごく残酷なシーンとか多いのに、多くの子供たちがハマっているのは興味深いです。
その要因の一つとしては、さっき松村さんのお話であった、普遍的な世界を見せてくれているから、良くわからないけれども伝わる深い何かを子供たちは感じられるからではないかと思います。
<煉獄さんの炎の呼吸の瞑想ガイド>
Source : 瞑想チャンネル for Leaders
松村憲:「瞑想は何のためにするのか?」という問いに対する答えは、鬼滅の刃のストーリーで言うならば「鬼を倒すためです」とか「妹を救うためです」とかそういった理由なのかもしれないですね。
小島美佳:それってすごく意味がありますよね。
「鬼とは何か?」とか、「妹を救うっていうのはどういうことなのか?」っていうのを突き詰めていくと、色々と繋がってくるのかなって思います。
松村憲:そうですよね、だから多くの人々の心に響くのだと思います。
鬼滅の刃が示す 善悪を超えた世界観
松村憲:残酷なシーンとかもちょっと過激な言い方をすると、現代社会の負の側面の表象であり、みんなが目を開いて見ていないだけと感じています。
子供たちは繊細なので、そのような状況を普段からよく受け取って知っていると思います。しかし、その現実や鬼から目を背け続けて、気がつかないうちに自分自身が鬼になっていたら、、、鬼滅の世界観で考えると最悪の状況ですよね。まさに人としての意識や記憶も忘れてしまって、鬼になってしまった状態は希望がないですよね。
この作品の真髄は、そうした現実から目を背けるのではなく、まさにそこに切り込んでいって向き合うことにあります。
炭治郎たちが生きる『あきらめない世界』
『鬼滅の刃』の主人公たちが体現しているのは、『あきらめない世界』です。主人公の炭治郎は危機的な状況でも「諦めるな、考えろ!」と自問して、決して諦めない姿勢は、読者に深い感動を与えます。この不屈の精神は、子供たちだけでなく、自分もですけど多くの大人の心にも強く響いています。
s子:原作では、鬼の大ボスの宿敵として人間の最強の剣士が言う「道を極めたものが辿り着くところはいつも同じだ」という興味深いセリフがありました。
鬼たちもその極めた場所(作中では鬼が『至高の領域』『無我の境地』と述べています)を目指しましたが、結局人間性を捨てて鬼になっても、到達できませんでした。
作者である吾峠さんはこの「悟りの境地」を明確には示さず、「そういう悟った先の世界があるんだよ」っていう暗示だけで、読者の想像に委ねています。
松村憲:ほんとにその世界観は、ユング心理学や仏教だったりスピリチュアルの伝統の世界観に近いですね。おそらく、善悪の二元性を超越した境地を示唆しているのでしょう。
『鬼滅の刃』で「鬼」が象徴するもの
小島美佳:私は原作を全部読んでいないので、私の理解のためにちょっと聞きたいんですけれども、鬼たちも鍛錬を積んで上に登っていこうと努力している感じなんですか?
s子:鬼は元々身体能力が高くて、食べた人間の数で強くなったり、手柄をあげると鬼のボスの無惨様の血をいただいて、さらに強くなれたりするという設定です。ただ強さを極めたくて鬼になった人たちも何人かいます。
一方で鬼殺隊は人間なので、巨大な岩を手で押したり岩を刀で切ったり、滝に打たれたりとか、いわゆる修行をしないと強くなれない。異常な再生能力や身体能力を持つ鬼と対等に戦うために、人間である鬼殺隊は『全集中の呼吸』などを習得して、己を高めるべく血を吐くような努力する、という設定です。
鬼殺隊と鬼では 目指すゴールや価値観が違う
小島美佳:鬼と鬼殺隊の成長過程の違いは非常に興味深いですね。
それをマインドフルネス的な観点で見ると、鬼たちが望んでいるゴールと、鬼殺隊が据えているゴールの違いを示唆していると感じました。「どこに行くのか?」みたいな。
松村憲:マインドフルネスの視点からみると、鬼が住む世界は仏教でいう「餓鬼」の領域に相当します。彼らは欲望やエゴに支配された存在といえますよね。一方、鬼殺隊の方は、愛や調和(エコ)を原動力としています。
鬼と私たちも紙一重
しかし、究極的には両者の境界は紙一重です。最強を目指すためには、鬼であっても人間であっても、自我の執着を手放す必要がある、とか。また人間である鬼殺隊が鬼を倒そうと思ったら、自分の内なる「鬼性」と対峙しなければ、真の強さを得ることはできないとか。
マインドフルネスを継続していくと、自身の内なる未熟さや怒りなど、「鬼性」とも呼べる側面に気づき、それを反応せずにただ観察します。時には「鬼」に対して慈悲の念を抱くこともあるでしょう。この過程は、まさに『鬼滅の刃』の世界観と重なる部分があります。
小島美佳:本当にそうですね…。
トラウマと共感:子供たちの心を捉える鬼滅の描写
小島美佳:『鬼滅の刃』が幅広い年齢層、特に小さな子供たちが共感するとか、深いところで鬼滅の刃を好きになるというのは、非常に興味深いです。
松村さんが指摘されたように、この作品が「本当はある現実世界の残酷さも含めて、ありのままを描いて見せてくれている」のも子供達の共感を得る大きな要因だろうなと思いました。
私が鬼滅の刃の映画を見に行った時間帯が平日の昼間だったというのもあって、映画館で幼い子供たちの反応を目の当たりにしました。
途中、観ている子供たちが怖がっているような時もあったんですけど、クライマックスの鬼との激しいバトルシーン、最後どっちが勝つかわからないみたいな場面で、2人ぐらいの子供たちが自発的に立ち上がってものすごい拍手をしたの。
私自身は「鬼滅の刃って、こういう時って拍手しなきゃいけないものなの?歌舞伎みたいだな」って思っちゃったんですけれども(笑)。
子供たちがあそこで拍手をしたのは、単なる興奮以上の何かを示唆していて、すごい象徴的だなと思ったんですよね。
「光と影の統合」とか、闘いを通して融合が行われる瞬間「対立の融合」といった物語の深層にあるテーマへの直感的な理解を示しているのではないでしょうか。マインドフルネスや深層心理学の知識がなくとも、子供たちは物語を通じてこれらの普遍的テーマを拾ったように感じられて、結構私的には感慨深かったんです。
松村憲:まさにその通りですね。
この現象は、ユングが提唱した集合的無意識の概念とも通じるものがあります。子供たちは、論理的な理解を超えて、物語に埋め込まれた普遍的なパターンや象徴に反応したのでしょうね。
子供たちは特に、このような本質的な真実に敏感に反応するのでしょうね。
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』公開中PV
Source : ANIPLEX
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