この対談はマインドフルネスのデメリットについて考える、の後半になります。前半では
- 効果が実感できるまで時間がかかることと
- 習慣化することが難しい
という点について対談しました。今回はマインドフルネス瞑想の危険性の一つ『魔境(まきょう)』についてお話しします。
目次
魔境とは
小島美佳:マインドフルネス瞑想の危険性として「魔境」という言葉を聞きました。これは具体的にどのような状態を指すのか松村さんからご説明していただけますか?
松村憲:魔境とは、禅やマインドフルネス瞑想を続ける中で経験する可能性のある、精神的な不均衡状態を指します。英語でも”MAKYO”と表記され、瞑想実践者の間では重要なキーワードとなっています。
例えば「禅を続けていると魔境に入ってしまう」という話があります。曹洞宗では「只管打坐(しかんたざ)」と言って「ただひたすら座る」みたいな坐禅をして、続けてやっていると妄想に囚われたりします。また深く瞑想している人たちが「ブッダが現れました、イエスが現れました」と言い出したりする、という話もあります。
自分は悟ったと勘違いすると精神的なバランスが崩れますし、その時は本当は「魔境」にいる状態と言えるでしょうね。
もう一つは、瞑想をしていると不快な感覚になるというものです。最近では魔境の研究も行われているらしいのですが、有名な研究で、4人に1人はマインドフルネスをすると不快な経験をしているらしい、というものがあります。
レビュー紹介『瞑想実践と瞑想に基づく療法における有害事象』
Acta Psychiatr Scand (2020)
Adverse events in meditation practices and meditation-based therapies: a systematic review
2020年のレビューでは、マインドフルネス瞑想やその他の瞑想法に関する83の研究を調査し、瞑想中や瞑想後に不快な経験をした人の割合は8.3%(95%信頼区間0.05-0.12)であると報告しています。
不快な経験の中で最も多かったのは
・不安(33%)
・うつ(27%)
・認知異常(25%)でした。
魔境の具体的な症状
松村憲:このように、マインドフルネス瞑想を実践していて不快な体験をすることはよくあることと言えます。
ただ、極端な魔境的な不快な感覚の例を挙げると、
- 自己認識の歪み:悟りを得たという誤った確信
- 精神的不調:不安、うつ、恐怖感の増大
- 認知の異常:妄想や幻覚の出現
などがあります。
魔境体験の実例:歴史上の禅僧から現代の実践者まで
歴史的な例として、江戸中期の禅僧、臨済宗中興の祖として著名な白隠和尚が挙げられます。彼は厳しい修行の末に、精神のバランスが崩れて具合が悪くなってしまった(禅病)そうです。禅病も魔境の一種と考えられています。
まさに彼も魔境にさしかかっていたのだと思いますが、結局坐禅だけでは克服できず、山に籠っている仙人のような人から呼吸とイメージの瞑想を教わりよくなった、という話があります。
【まとめ】魔境とは
・自分は悟ったと勘違いをして、精神のバランスを崩してしまった状態(恐怖心、不安感、違和感、うつ状態)
・妄想や幻覚に囚われる(認知異常)
など、マインドフルネス瞑想や坐禅をやっていると陥るかもしれない諸々の不快な体験
<魔境に差しかかった時に聞き流してリラックスし、抜け出すための5分間瞑想>
Source : マインドフル瞑想チャンネル
魔境に陥る理由:魔境に落ちた体験談を元に
小島美佳:次は松村さんご自身の魔境的体験があれば、お聞かせくださいますか?
1, エゴの肥大化:自己認識の歪みと優越感
松村憲:1つ目には瞑想やヨガをするとエゴが強くなるという経験があります。
小島美佳:あー、わかります!
松村憲:特にやり始めとか、こういう世界を知った時に「あ、なんか分かっちゃった」とか、こういう世界が本当と思い込んでしまうような、ちょっとエゴが増長してしまったような感じは最初の頃はよくあったと記憶しています。
自分ではそこは魔境って気付いてないのだけど、いつの間にか入ってしまっていました。
小島美佳:私自身の経験でお話すると、自分自身が瞑想している時にキリストが出て来て…(笑)。最初はそういった体験で癒された側面もあるし、それによって得られる示唆もあり、「なるほど!」と腑に落ちるメッセージが来たり、天の恩恵を受けられた瞬間かなとは思います。
しかし、純粋な宇宙のソースのようなものからのメッセージと自分のエゴが交錯した状態で届いてくることもある。瞑想が中途半端な状態だとエゴ的な要素が強くなりますよね。
私の中では、キリストのエネルギーに触れられたことは素晴らしい体験でした。でも、その後「あなたはこの世を救うために来ました」というメッセージが聞こえてきて、同時に私自身がたくさんの人の前で話をしていて、みんなが泣いているシーンがビジョンとして降りてきました。今振り返ると非常に怪しいですね、「教祖様かよ!?」みたいな (苦笑)。
今考えると「これは、エゴだ!」って感じですが、その当時は「もしかして私ってすごい!?」みたいな変なスイッチが入ってしまいました。
それを制御出来る人と制御出来ない人がいると思うんですけど、人の前では出さないにしても、自分の中では「実は私ナンバーワンだし」みたいな、そういう気持ちで立ち振る舞っていた時期もあったなぁ…と思います。
「この世界を分かっていないあなた方に教えてあげるわよ」的な、そういう道はみんな通るんじゃないかな。
そんな立ち振る舞いをする人物を見た経験も何度もあります。以前は人がそうなっているのを見てイラつくこともありましたけど(苦笑)、今は「あらら、なんか始まっちゃってるなー」と思ったり、そういうプロセスを通っている最中なのかな、と冷静に見られるようになりました。
松村憲:そっかー、美佳さんの話は面白いなー。
小島美佳:(笑)、どの辺がですか?
松村憲:まぁ美佳さんは特別だと思うので (笑)。
さっきお話したみたいに瞑想している時にソースに繋がる訳じゃないですか。ソースと自分の小さいエゴは齟齬を来すから、エゴが肥大するっていうのは魔境的ですよね。
とは言え、ソースの情報も結構クリアなので、ここは分離して捉えられるようになるというのが次のステップで。そういうところにいるんだろうな、と思えます、と。しかし普通の人はそんなにきれいにソース情報が出てきたりはしないと思うので、、、
体験することが大切ですよね、なにかしら「あぁ!」みたいな体験をして「すごい!」みたいに思いやすかったり、こういう世界を知ってこんな世界があるんだってことを共有する人が出てくると、「やっぱりこっちの方がいいのよね」みたいになりがちなのかなぁ。
小島美佳:まぁそれは瞑想に限らず、新しい世界が見えて、なんとなく一皮剥けた後に、そうではない人たちに教えてあげたい衝動に駆られたりだとか、エゴ的な観点から言うと優越感に浸りたいみたいな、そういうエゴなのでしょうね。
松村憲:そうですね、そこは意識の発達レベルによっても違ってくるのかもしれないですねー。
2, 不快感の増幅:過度の内省がもたらす負の影響
松村憲:2つ目には、感覚を追う瞑想をずっとやっていると、不快な感覚を不快なまま感じ過ぎてしまって、現実とのバランスという点では魔境的な部分に入ってしまっていた、という体験もあります。
小島美佳:その際には何が起こっているんですかね?
マインドフルネスでは、自分の中の不快感があることに気づいて、そこにチューニングするようにありのままをどんどん観察をしていき、変化していく様を観察する、といった手法もありますが、具体的にどの部分が魔境っぽい感じになるのでしょうか?
松村憲:マインドフルネスの感覚を追う瞑想では、感覚が様々なところに繋がっていく・深まっていく感じがあると思うのですが、魔境的になる時は、深くて古い、長年放置してきたコンプレックス、情動、欲、メンタルモデルや思い込みなどに、どっぷりと浸り過ぎてしまっていたのだと思います。
そこをあまり切り出して考えないで不快な感覚だけを見続けていると、自動的にフラッシュバックしたり、自分の嫌な体験とか思い込みを増幅してしまう可能性があると感じています。
小島美佳:なるほど。
私の体験で言うと、まるで底なし沼に引きずり込まれるような感覚ですね。しかも、その状態に陥っていることに気づけない。
松村憲:そうですよね、それはまさに魔境っぽいですね。
今、改めて魔境について調べたんですけど…まさに2人で話していたような体験と一致していました。「自分ってすごいかも!」と思う状態に、気付かないうちに入り込んでしまっているのも魔境の一つですよね。
魔境から抜けるためには?
松村憲:あとは魔境的な状態を解決、という点でお話すると、瞑想だけではなくて心理学など、より近代的な学問が結構助けてくれることもあると思っています。
1, 客観的な自己観察:
エゴの肥大化や不快感の増幅に気づく力を養う
やはりエゴが肥大するっていうのは、なんらかのエゴの課題を持っている人だと思うので、瞑想だけではなくて心のテーマなども探求してみたら良いのかなと思います。瞑想をやる前はなんとかおさまっていたのに、瞑想を始めたら持っていたトラウマ等がパカーンと開いてしまって、結果具合が悪くなってしまうという人はいますよね。
小島美佳:そうですねー
松村憲:さっき美佳さんの話で心配していたような、精神世界を学んでエゴが肥大して優越感から周りの人に迷惑をかけないかハラハラしちゃうような人っていうのは、やはりエゴの課題テーマとかがあるんじゃないかなって思います。
2, 心理学的アプローチの併用:
瞑想だけでなく、現代の心理療法を組み合わせる
小島美佳:以前、セミナーをやったときに松村さんが言われていたと記憶しているのですが、瞑想だけをやっていても全てが解決されるわけではない、という話だったと思うのですけど。
私のイメージでの瞑想をわかりやすく例えると、たくさんの石が地面に埋まっている状態から少しずつ上から順番に土や砂が洗われて行くというか、土や砂が流れていったら時々下から石が現れてくるみたいな感じだと思うんです。
瞑想をしていくと、それらの石も含めて最終的には全てきれいに洗われて、いろんなものが見えてくるという感覚だと思っています。見えてきた石が時々厄介な大きな岩だったりする場合もあると思うんですけど。
石を取り除く作業を一般的な人が瞑想だけでやっていくことの難しさを考えると、もう少し近代的な心理学など色々なアプローチと瞑想を組み合わせて、両輪で石を取り除いて行く方が、魔境のような精神的に変な状態になり過ぎないのかなと思います。
3, 段階的な実践:
ケン・ウィルバーのインテグラル理論のように、瞑想と心理学的発達段階を統合的に捉える
松村憲:多分これからの瞑想、次世代瞑想は、そういう感じになりますよね。瞑想で内にも入るんだけど、瞑想で出てきたもの、感じたものをちゃんと左脳的にも整理できるとか、言語レベルでアプローチできるというのは必要になってきますよね。
ケン・ウィルバーのインテグラル・メディテーション (邦題『インテグラル理論を体感する』)に書いてあった、「瞑想だけで到達できる所」と「心理学などの視点でちゃんと段階がある」という両方を見られるというのはすごく良いなと思います。
小島美佳:それはすごい助かるなぁと思いますね。
【次世代のマインドフルネス】現実社会を生き、瞑想もする
松村憲:それから魔境の話で最近思ったのは、マインドフルネス関連の本を何冊も書いている有名な方が、後から自分は魔境にはまってましたって懺悔をしてたんです。袈裟を着て僧侶でいるときはすごい悟っている感じなんだけれど、いざ俗世間に近いところに出ると煩悩がどんどん溢れ出てきて止まりませんでした、という話で。
今、マインドフルネスが流行ってきている中で、僕がポジティブに捉えている点としては、俗世間でやることに意義があると思っています。
前述のマインドフルネスで有名な僧侶の方々も、意識レベルはすごく高くなっていたはずなのに、俗が絡み合うとめちゃめちゃ大変でした、とおっしゃっていて。他にも、欧米で高名な僧侶が俗世間の欲に溺れてスキャンダルを起こしたとか、出家して還俗した先生がバランスを崩したとか、沢山あったようです。
禅では「悟って終わりじゃないですよ」と言われていて、山門・お寺から出てこの世の修行をしてこそ磨かれるという話があります。
ですから、今日から毎日10分でもいいので瞑想を始めてみる、現実世界を生きながら瞑想もすることが、現実的で自己成長にもつながる、良い方法だと思います。
その際、どんどん魔境に入って行くような内側に深く潜っていくだけでなく、瞑想も継続しつつ、外の社会での人間関係のトラブルにも対処する、瞑想をしながらもチャレンジングな仕事も続けることで、実は意識が磨かれていき、集中力も高まっていくなど、内と外がなくなってくるような状態に行く可能性があります。
これからの次世代の瞑想の可能性は、ここにあると感じています。
小島美佳:私もそう思います。
出家をしてから俗世間に戻って行くというやり方も、それはそれでいいと思うんですけど、より社会全体の意識みたいなところを磨いていくのだとすると、本当に沢山の修行を積んだエキスパートな人が多数いることよりも、少しでも自分自身の意識の中に「瞑想や修行をした時に芽生えた光のようなもの」を宿した状態で自分を研鑽するというのが、社会全体の意識を上げて行く上で理に叶っているなと感じます。
松村憲:そうですね。
だからこそ、今のこの時代の流れを僕は肯定的にとらえています。
小島美佳:マインドフルネスみたいなものが注目されて、心理学の世界でもそれをサポートしてくれるようなコンセプトや技術が出てきているので、この流れはとても良いものだと感じます。
が、一方で、ダークサイドとも言えるかもしれないのですが、マインドフルネスの流行に便乗したスピリチュアル系?の台頭もありますよね。
これ、次回で扱ってみたいと思います。
松村憲:ぜひ。