前回お話した、慈悲・慈愛の瞑想の効果に続き、今回は慈悲・慈愛の瞑想の脳への効果についてまとめていきます。
慈悲・慈愛の瞑想は、自分や他者に対して思いやりや愛情を持つことを目的とした瞑想法です。この瞑想法は、仏教の教えに基づいていますが、宗教的な信仰は必要ありません。マインドフルネスの第一人者であるカバットジン博士も、ストレス低減プログラムとして開発したマインドフルネスストレス低減法(MBSR)にも慈悲の瞑想が含まれています。
慈悲の瞑想では、自分自身や周りの人々、あるいは全ての生き物に対して、幸せや平和を願う言葉を心の中で唱えたり、聞いたりします。このようにすることで、自分にも他者にも優しくなれるだけでなく、脳にも驚くべき効果が現れることが科学的に証明されています。この記事では、慈悲・慈愛の瞑想が脳に与える影響について、最新の研究から紹介していきます。
前編では他の瞑想法との違いや共感と思いやりの関係について、後編では利他性や幸福感について、二回に分けてお伝えします。
目次
慈悲・慈愛の瞑想が脳にもたらす変化
アメリカの心理学者シャド・ヘルムステッター博士によると、私たちは無意識のうちに1日に何万回もの自動思考(頭の中のおしゃべり)をしており、その半数以上が否定的なものであると言われています。日常的に自分自身を否定したり批判する、「失敗した」「自分はだめだ」といった自分を責めるような思考が繰り返されると、脳はそれに応答した脳の神経回路が構築し、思い込みを真実だと信じ込んでしまい、悪影響を及ぼします。
一方、慈悲の瞑想では、自己否定的な思考の代わりに、自分を許したり励ましたりするような言葉を使います。思いやりや自己を許容するようなフレーズを繰り返し聴いたりつぶやくことで、耳や口から入力された言葉やイメージは脳に記録され、自己肯定感や自尊心を高める神経回路が強化されます。
さらに、慈悲の瞑想は他の瞑想法とは異なる部位や機能の脳領域にも作用します。これはfMRIなどの画像診断技術で観察され研究論文として多数報告されています。次からはそのような事例をいくつかご紹介していきます。
松村憲さんによる慈悲の瞑想 <7分間>
共感 (empathy)と思いやり(compassion)の違い
前回の慈悲・慈愛の瞑想の効果の記事で述べたように、共感には以下の3つの種類があります。
① 認知的共感
② 情動的共感
③ 共感的関心・思いやり
共感(empathy, 上の①, ② に相当)は社会的な関わりを円滑にする上で重要な役割がありますが、過剰になり他の人の不幸やネガティブな感情を共有し過ぎてしまうと、燃え尽き症候群などの問題となる可能性も指摘されています。
一方、慈悲の瞑想トレーニング(Loving-kindness meditation, LKM)によって育まれる③の共感的関心・思いやり (compassion) が高まると、自身の苦痛や他人のネガティブな状況に対して肯定的な感情や態度を持つことができるようになることが分かっています(前回の慈悲の瞑想の効果『 1, 思いやりの心が養われる』参照, ref. 1)。
共感と思いやりの違いは脳の反応に現れる
共感と思いやりのトレーニングを受けた人の脳の画像を分析したところ、共感と思いやりはそれぞれ異なる脳の部分を刺激することがわかりました。これは複数の研究チームから報告されています。このことは、共感と思いやりが私たちの感情や行動にも違う影響を与えることを意味しています。
共感では他人の苦痛も自分のことのように感じる
共感(empathy)とは、他人の気持ちや状況に対して自分も同じように感じる能力です。共感するときに活性化する脳の部分には、前島皮質、前頭前皮質(前頭前野)、前部中帯状皮質(中帯状回)、補足運動野などがあります。
大脳:前島皮質、前頭前皮質(前頭前野)、前部中帯状皮質(中帯状回)、補足運動野
中脳:中脳皮質
これらの部分は、自分自身の苦しみや苦痛を感じるときにも活性化されることが知られており、共感することで他人の苦しみや苦痛を自分のことのように感じることになります。しかし、これは自分にも他人にも良くない結果を招く可能性があります。なぜなら、自分が苦しんでいるときに否定的な感情や行動が生まれやすくなるだけでなく、他人の苦しみや苦痛に対して自身の脳が反応し、否定的な行動や感情が現れることで体や心にも悪影響を及ぼす可能性があるからです。(refs. 6-8)
思いやりは他人の苦しみに対して具体的なアクションが取れるように
一方、思いやり(compassion)とは、他人の苦しみや困難に対して同情するだけでなく、それを和らげようとする意志や行動を伴う能力です。思いやりのトレーニングを受けると、共感とは異なる以下の脳領域が活性化しました。
大脳:前帯状皮質(帯状回)、内側眼窩前頭皮質、大脳基底核(淡蒼球、腹側線状体、被殻)、扁桃体
中脳:腹側被蓋野
これらの部分は、幸福感や快楽を感じるときにも活性化されることが知られており、思いやりを持つことで自分も他人も幸せになれることを示しています。また思いやりのトレーニングによって、他人の苦しみや悲惨な状況に対する否定的な感情の減少や、肯定的な感情や現実的な行動の増加、つまり無関心になったり逃げ出したりするのではなく、現実的で建設的な対処法を見つけたり実行することを促します。(refs. 9-11)
ここからは、それぞれの論文で行われていた実験や実際変化のあった脳領域とそれらの機能について概説しています。あまり細かい研究方法や結果などに興味がない方は、『慈愛・慈悲の瞑想で他者への優しい行動が自然に起こる』までスキップしてください。
慈愛・慈悲の瞑想が脳に与える驚くべき効果
共感を3つに分類したマックスプランク研究所のTania Singerらはさらに、共感(Emphatic distress, 下図の左側)と思いやり(Compassion, 下図の右側)のトレーニングを行った後の脳への影響の差に着目し研究しました (ref. 2)。
1, 共感と思いやり:脳内での反応が異なる
その結果、共感のトレーニング(他の人の苦しみに共感する能力を高めることを目的とした共感トレーニング)を行った後は、前島皮質 (※注1)と前部中帯状皮質 (※注2) が活性化していました。
前島皮質は痛みや感情、意識的な感情などに関与する領域であり、共感による苦痛や感情への脳の反応と関連している可能性があります。
また、前部中帯状皮質は意図的な運動制御に関与する領域であり、共感による行動発現や認知機能にも関連しているとされています。
さらに、思いやりのトレーニング(慈悲の瞑想)を行うと、ネガティブな感情への共感が逆転し、肯定的な感情の自己報告が増えました。この時、腹側線条体(※注3) 、前帯状皮質(前帯状回 ※注4)および内側眼窩前頭皮質(※注5) にまたがる脳内ネットワークが活性化されました。
腹側線条体から帯状回への脳内ネットワークは、他の集中や観察瞑想では不活性化していたことから(観察・洞察瞑想の効果 3 参照)、思いやりの瞑想が脳に対して観察瞑想とは逆の効果を持つ可能性が示唆されています。
また、報酬予測感に関与する眼窩前頭皮質を含むネットワークの活性化は、慈悲の瞑想により肯定的な感情が増えたとの自己報告との関連を示唆しています。
総括すると、思いやりのトレーニングを行うことで、他人の苦しみへの共感的な苦痛を克服し、回復力を増すための脳の回路が強化されているのではないか?と書かれていました。
※注1:前島皮質(anterior insula, AI)島皮質(島)の中でも前方にある前島皮質は、扁桃体からの刺激を受け、痛みの体験や喜怒哀楽や不快感、恐怖などの基礎的な感情の体験、意識的な感情、行動発現、知覚、情動など、認知機能に関する。
※注2:前部中帯状皮質(前部中帯状回、anterior midcingulate cortex , aMCC)意図的な運動制御のためのネットワークを構成する(ref. 3)
※注3:腹側線状体 快感、報酬、意欲、嗜好、恐怖などの情報処理、報酬獲得行動や薬物中毒の病態にも関与している。
線状体の位置は観察瞑想の記事参照。
※注4 :前帯状皮質(前帯状回, ACC)内部環境の変化に気づかせるための刺激に反応する機能を持つ。異変のアラート情報を島(注1)に届け、さらに前島皮質(AI)が異変の強度を主観的に判断する。社会的認知や情動的な気づきにも関わる領域。
※注5:眼窩前頭皮質(前頭眼窩野, orbitofrontal cortex, OFC)前頭前皮質の一部で前頭葉の側腹面に位置。報酬予測感に関与する。過去に記憶化された価値を参照し今目の前にあるものは自分にとって価値があるかどうかを見分け、スピーディーな判断を導く。報酬や嫌悪刺激の価値の評価、情動・動機づけに基づく意思決定に関わる。
<不安や苦痛を和らげて安心感に身を置くための5分間瞑想>
2, 他者の苦痛に対して前向きな感情や行動が増える
さらに同じ著者らは思いやりのトレーニングについてfMRIを用いた研究も行いました。(ref. 4)
まず初めに瞑想経験のない人々に、やけどなどで苦しむ人々の映像・画像を見せると、目を背けるなどの否定的な行動や感情を示し、その際の脳の状態をfMRIで調べると、痛みへの情動的共感に対応する前島皮質 (※注1) と内側前帯状皮質 (※注4) が活性化することを見出しました。
その後、慈愛の瞑想のトレーニングを合計6時間受けてもらった後に同様なテストを行うと、今度は熟練の瞑想家と同様の脳内の活性化がみられました。具体的には 内側眼窩前頭皮質 (※注5)、被殻 (※注6)、淡蒼球 (※注7)、腹側被蓋野 (※注8) が活性化しました。
腹側被蓋野は報酬・快楽系の脳内ホルモン分泌を活性化することから、その活性化によって悲惨な状況の映像に対する否定的な感情が減り、逆に肯定的な感情が増えた、という結果とも一致していました。
※注6:被殻 (putamen)尾状核, 腹側線条体と共に線条体と呼ばれる。
※注7:淡蒼球 (pallidum)被殻と共に大脳基底核の一部を構成している。大脳皮質からの情報を被殻が受け取り、淡蒼球に伝え、淡蒼球から視床や脳幹へと情報を伝える。大脳基底核はドーパミンやGABA等の神経伝達物質を介して運動、認知、意欲、情動、学習に関わる神経機構を調節する。
※注8: 腹側被蓋野 ; (ventral tegmental area, VTA)中脳の一部、脳内の主なドーパミンの産成を担う。ドーパミンはアドレナリン・ノルアドレナリンの前駆体であり、快楽・依存症などに関与する脳内の報酬系を活性化する。
3, 扁桃体が活性化される
以前の記事では、集中瞑想と観察瞑想を行うと感情の処理と注意を担うストレス反応スイッチである扁桃体の活性が低下・鎮静化し、ストレス耐性が高まり、落ち着きやすくなると述べました。しかし、思いやりの瞑想では逆に扁桃体が活性化したと報告されています。
この論文 (ref. 5)では、瞑想経験がない健康な成人を集中瞑想、思いやりの瞑想、およびコントロール群の3つに分け、それぞれのトレーニングを8週間行いました。具体的には、以下の内容で行われました:
②伝統的なチベット仏教の方法に基づいた思いやり (Compassion)トレーニング(CBCT ; 自分や他の人に有害な思考、感情、行動を逆転させ、自分や他の人に有益な思考、感情、行動に変える)
③アクティブコントロール介入 (瞑想ではなく、健康に関する教育やディスカッションなど)
その後、被験者にさまざまなシチュエーションの画像を見せ、fMRIで脳を調べた結果、次のような結果が得られました:
① 集中瞑想のグループでは、ポジティヴな画像でもネガティヴな画像を見ても、扁桃体の活性が減少しました。
② の思いやりトレーニングのグループでは、逆にネガティブ画像に対する右扁桃体の反応の増加傾向が見られました。
③ のコントロールのグループでは大きな変化はみられませんでした。
②の思いやりのトレーニングでは、右扁桃体の活性化に加えて、うつ病スコアも優位に減少していました。
研究者は、慈悲の瞑想による『思いやり』を育むトレーニングの効果が瞑想終了後も長期間持続し、瞑想を行っていない通常状態(Non-meditative states, 非瞑想状態)にも影響する可能性を示唆しています。
つまり、思いやりのトレーニングは瞑想を行っていない日常生活においても感情の処理に影響を与え、感情的な安定性を向上させる可能性が示唆されました。
慈愛・慈悲の瞑想で他者への優しい行動が自然に起こる
これまでの研究結果から、慈悲の瞑想を通じて『思いやり』の心を育むことで、他人の苦痛に直面した場合でも肯定的な感情と共に前向きな行動・対処法をとることができるようになることが示唆されています。
例えば、医療従事者の方が患者さんの苦痛などに向き合う際には、情動的共感だけで対応すると否定的な感情と共に精神的なストレスも増加することが分かっています。しかし、慈愛の瞑想によって思いやりの心をトレーニングすると肯定的な感情が増え、前向きに向き合い行動することができるようになります。つまり、他人の不安や苦痛に共感することで生じる苦悩が、慈しみの心を向けるトレーニングを行うことで愛情に変わり、精神的な回復力も増し、ストレスも軽減されるのだそうです。
この効果は以前の記事で書いた感情労働でのDeep acting(深層演技)も関連しており、多くのサービス業や顧客対応の仕事をされている方、対人関係でストレスを感じやすい方にも良い効果が期待できます。
瞑想は脳を変化させる – 脳ストレッチの効果
瞑想方法の種類によって脳への影響が異なることについては、以前の記事で紹介した『脳波計museとアプリを瞑想のプロが使ってみた』のデータと一致します。この記事では、瞑想の種類によってmuseでの測定結果が異なることが示されています。
特にチベット仏教などの修行では、一つの瞑想法だけではなく、集中、洞察、慈悲、拡張などさまざまな瞑想法が一つの瞑想修行の時間内で行われます。これによって、脳内で活性化する領域が変化し、脳がまるでストレッチをしているかのような状態になると考えられます。
このような瞑想による脳のトレーニングによって、自身の感情をコントロールできるようになり、一時的な感情に支配されにくくなり、ストレス耐性や落ち着きなどが得られるのではないかと考えられています。これは非常に興味深い研究です。
次回の慈悲・慈愛の瞑想の脳への影響 (後編)では利他性の脳への効果についてお話します。
参考文献(references)
- Empathy and compassion, Tania Singer and Olga M. Klimecki, Current Biology, (2014)
- Differential pattern of functional brain plasticity after compassion and empathy training, Olga M. Klimecki, Susanne Leiberg, Matthieu Ricard,and Tania Singer, Soc Cogn Affect Neurosci. (2014)
- The Role of Anterior midcingulate cortex in cognitive motor control: Evidence from functional connectivity analyses, Felix Hoffstaedter et al., Human Brain Mapping, (2014)
- Functional neural plasticity and associated changes in positive affect after compassion training., Olga M Klimecki, Susanne Leiberg, Claus Lamm, Tania Singer, Cereb Cortex, (2013)
- Effects of mindful-attention and compassion meditation training on amygdala response to emotional stimuli in an ordinary, non-meditative state, Gaëlle Desbordes, et al., Front Hum Neurosci. (2012)
- How do we perceive the pain of others? A window into the neural processes involved in empathy. Jackson PL, et al. Neuroimage. (2005)
- The empathic brain: how, when and why? De Vignemont F and Singer T. Trends Cogn. Sci. (2006)
- Is there a core neural network in empathy? An fMRI based quantitative meta-analysis. Fan Y, et al. Neurosci. Biobehav. Rev. (2011)
- Compassion training alters altruism and neural responses to suffering. Helen Y Weng, and Richard J Davidson et al, Psychol Sci. (2013)
- Regulation of the neural circuitry of emotion by compassion meditation: effects of meditative expertise. Lutz A, et al. PLoS One. (2008)
- Reconstructing and deconstructing the self: cognitive mechanisms in meditation practice. Cortland J Dahl et. al. Trends Cogn Sci. (2005)